2017-10-17

10月の内山節寺子屋に参加

 10月14日の夕方から哲学者の内山節さんが関わる寺子屋があり、亀有にある延命寺へと出かけた。5時から開始となった寺子屋には、約30人が広間に座り、前半はある女性参加による「今までの労働環境 これからの労働の世界」と題した報告があった。戦後のわが国における労働を概観し、これからの柔軟な働き方を期待する内容で面白かった。ただ、日本の国策との関連に触れてないことや、報告の前半は「労働」で後半は「働き」と表現するなど、論点のあいまいなことがいくつかあって後の議論で触れさせてもらった。
 10分の休憩の後は内山さんによる話で、今回は「大日教」の経典をとりあげた。名称をどこかで聞いたことはあるが、中身についてはまったく読んだこともなく、コピーはもちろん現代訳だが、それでもかなり難解である。1時間ほどなので大日教の一部につき、現代訳をさらに分かりやすく解説してくれた。印象的だったのが「空(くう)」である。仏教で「空」は重要な意味を持つが、どうもその意味するところが私も掴みかねていた。内山さんによると、空(くう)は空(そら)のように、上空にあるがこれが空ですと限定することができず、またその上には宇宙があり、下には大地や自然や人もいるように、あらゆるものと接している存在とのこと。いくらか「空」の理解が進んだ。
 後の懇親のとき、内山さんの著書「哲学の冒険」や「続哲学の冒険」に経典の話がないので、
いつ頃から仏教の経典に興味を持ち出したのかたずねた。すると中学や高校生のときに、なぜか興味を持って読み始めていたとのことで驚いた。私にすれば、ドキドキしつつ「平凡パンチ」かせいぜい社会科学関連を手にしていた頃で、同世代でもこんなに凄い人がいるものだとあらためて感心した。
 寺子屋では、まだしばらく経典の話が続く。葬儀仏教として日本仏教を避けていたが、せっかくの機会なので少し真面目に学んでみたい。

2017-10-15

エフコープにおける障がい者支援

 10月11日に福岡県うきは市を訪ね、地元の生協であるエフコープによる障がい児の学童保育の現場を訪ねた。閉鎖になった市の保育園を利用し、放課後等デイサービス「うぃずあっぷる」を開設し、10人ほどの障がい児を4人のスタッフが世話していた。
 世間体を気にして15年も家から外に出してもらえていなかったある障がい児が、市の薦めもあってここを利用することになり、皆と遊んだり買い物や公園などへも出かけてすっかり明るくなり、保護者も驚いているという。夏には庭にある小さなプールでも遊んでいる。
 訪ねたときお八つの時間と重なり、子どもたちと一緒にお菓子を食べながら少し交流させてもらった。小学2年の言葉が出ないある男の子は、ここでスタッフの女性が目線を合わせてゆっくり話しかけることを繰り返し、最近話すことができるようになった。
 言葉がほとんど出ない私の4歳になる孫と重なり、思わず涙が出そうになった。
 12日はエフコープの本部の敷地内にある就労継続支援A型事業所「アップルファーム」を訪ねた。ここでは障がい者11人が、1年を通してシイタケを生産し生協で販売している。シイタケの菌を埋め込んだモミ殻の塊を使い、温度や湿度を細かく管理して成長させ、販売できる大きさになるとカットして分量を量り袋に入れて商品にしている。障がい者の条件に応じて、できる作業を分担しているから、それぞれが真面目にコツコツ仕事をこなしていた。
 ここで月給は11万円ほどだから、小規模作業所の工賃の平均1万数千円に比べるとはるかに高い。ある障がい者は、月給を貯めて母親に新車を買ってプレゼントしたとのこと。さぞかし母親は驚き、かつ喜んだことだろう。
 さらにはここで働くことに慣れた障がい者が、生協のリサイクル専門の子会社に就職して頑張っているから凄い。
 障がい者のグループホームなども課題になっているそうだ。
 土産でもらったシイタケは、帰宅してすぐに焼いて生姜と醤油で食べた。歯ごたえもよく、いつも以上にお酒が美味しかった。

2017-10-14

九州北部豪雨の被災地を訪ねて

 10月11日の早朝に羽田を出て福岡に飛び、福岡県南部に位置する朝倉市の被災地を訪ねた。今年の7月の集中豪雨により、同市だけで34名もの死者がでている。何回かテレビでも見た映像では、流木を含んだ濁流が沢を走り、多くの民家や田畑をおし流していた。まだその生々しい姿がいたる所にあった。
 それにしても自然の猛威にはただ驚くしかない。海面の温度が上昇し、湿った空気が大量に山間地へ流れて、50年に1度といった大雨を降らしている。自然現象といっても、工業化による地球的な二酸化炭素の増加による温暖化もたぶんに影響しているのだろう。どこかの軽薄な大統領が言うような、「地球温暖化は問題ない」との論調に私も同意しない。
 氾濫した河川の上流にあるいくつもの崩れた山肌には、敗戦後に植えた杉がほとんどである。杉の成長は早くて効率的な建築材育成には適しているが、根は深く伸びず倒れやすい。このため斜面の杉は、山肌と一緒になってすぐに崩壊する。敗戦後に経済優先で、杉やヒノキといった針葉樹ばかりを植林してきた政治のツケをここでも見ることができ
た。
 こうしてみると今回の災害は、天災と同時に人災の側面も忘れてはならないだろう。

2017-10-01

町内会の自主防災会訓練

 10月1日の今朝は、8時前に防災ヘルメットを着用した。年に1回の町内会の自主防災会訓練で、線路近くの小さな公園に約40名の住民が集まってくれた。73世帯を近所の13グループに分けて、それぞれに正と副のグループ長を選出し、まずは電話による緊急連絡網を使い、「訓練です。避難準備・高齢者避難開始の連絡がありました」を全家庭に伝え、安否確認をしてから公園のホワイトボードに記入してもらう。電話の一報が8時になり、すでに公園へ移動した人も多くて通じず次に向けた課題となった。
 公園ではまず防災会の会長として、この間2回のJアラート警報に私は触れた。早朝に防災無線で不気味に鳴り響き、政府の指示するように頭を低くした人もいるようだが、それだけでは不十分である。爆弾は爆発すると、破片の飛散と同時に強力な風圧が起こり、体内の血液が穴から噴き出る。それを防ぐため第二次世界大戦のときの訓練では、両手を使い親指で耳、人差し指と中指で目、薬指と小指で鼻を封じたことを紹介し動作をして見せた。さらには肛門の筋肉も閉めるとより効果的である。もっとも北海道を通過する飛行物体に対し、はるか離れた茨城県で警報を流すのは、別の意図があるのではとヘソの曲がった私は勘ぐってしまうが。
 次に日赤の訓練で教わった毛布のガウン風の紹介をした。縦にした毛布を背中に掛けて前で合わせ、足元までに丈を調整して紐で腰まわりを縛る。両肩から前に下ろした左右の端は、洗濯ばさみで止めると仕上がりである。
 他には、①  リヤカーで歩行困難者を自宅から公園へ搬送、②  防災器材の活用で、ブランコの鉄骨へビニールシートを張り、簡易テントの作成・発電機の使用・チェーンソーで角材の切断、  応急処置:三角巾を使い止血など怪我の応急処置をした。
 9時になると地元の消防署が消防車2台で来てくれての訓練で、  携帯電話で消防署への通報訓練、  全員による消火器の使用、③心臓マッサージと自動体外式除細動器)の利用を10時までした。
 最後にこの7月に泥棒が入った家庭の報告をしてもらった。夫婦で酒を飲んで戸締りを忘れて熟睡し、知らぬ間に財布から現金を奪われたケースである。お酒の好きな我が家でも他人事ではないので注意しなくて。
 これからも楽しく防災訓練をみんなと続け、いずれ来る大震災に備えたい。

2017-09-13

半年ぶりに「きらら女川」を訪ねて

 9月6日の朝のバスで陸前高田から気仙沼経由で女川に入った。途中で南三陸町を通過し、以前に何回か訪ねた志津川漁港やカキ処理場などを眺めた。津波で43人が亡くなった高さ12mの3階建て防災対策庁舎は、周りの盛り土が高くなり、瞬間的にしか見る事が出来なかった。私がカメラを向けていると、乗客の年配の男性は静かに合掌していた。
 半年ぶりの女川も、いたるところでまだ盛り土作業が続いていた。駅前にできた商業施設の一角に、障がい者も働いているレストラン「きらら女川」があり、そこで秋刀魚定食をいただいた後で、自転車を組み立てて高台にある作業所「きらら女川」へ向かった。
 作業所2階にある休憩所を宿泊で利用させてもらい、2泊3日で職員や利用者の聞き取りをさせてもらった。ここは障がい者の就労継続支援B型の作業所で、クッキーの他にパンやワカメなどの水産品を扱い、月給に相当する工賃は5万円を維持している。全国平均が1万数千円だから、かなり高い。オリジナル品の製造や、土日も営業するレストランの経営などが効果を上げている。
 利用者さんに聞いても、いろいろな種類の作業があるのでマンネリにならず、またレストランでは直接お客の美味しいという反応に触れることができるから、仕事が楽しいという。
 ある職員は、「きらら女川で働いている障がい者さんは幸せですよ」とのこと。以前に勤めた別の業種の職場では、障がい者へ職員の暴力が日常的に行われ、そのときの障がい者の怯えた顔が今でも忘れることができないそうだ。
 震災後に拠点を鳥取県に移して頑張っている理事長がちょうど女川に来ていたので、8日の昼食に駅前で全員参加のバーベキューがあり、そこにも同席させてもらった。年配の理事長は、若い利用者に自分の皿から肉を分けてあげていた。
 まだまだ課題はあるが、ここでも復興が着実に
進みつつあることを実感できた。
 
 

2017-09-12

3カ月ぶりの陸前高田

 9月5日の朝4時過ぎに眠い目をこすりながら家を出て常磐線に乗り、上野駅から新幹線で一ノ関へ行き、乗り換えて気仙沼経由で陸前高田へ入った。自費の取材のため経費を安くするため、今回はJRの東北フリーパス券を使い、通常では片道で1万5000円ほどするが、往復で同じ額だからそれは助かる。もっとも使えるのは年に数回で、それも4日間だけだから限定的ではあるが。
 津波が襲った陸前高田の市街地は、今も7mほどのかさ上げ工事が進み、すでに完成した中央部には大きなショッピングセンターや児童公園が完成し、また夏に図書館もオープンしている。そこのバス停で下車し、持参した折り畳み自転車を組み立てて目的地の「あすなろホーム」をめざした。
 12時からの誕生日会に参加させてもらった。職員さんたちからのサイダーや菓子の差し入れがあり、昼食を兼ねてバースディパーティーの歌などもあった。
 顔なじみの利用者さんも何人かいて挨拶もした。その一人の30歳半ばのマー君は、今回も次作の詩をいくつか見せてくれた。その1つである。
 「手をとりあって
 仲間が一人でも 氷のようにかたい
 ながれる 氷もあるんだって
 ぼくでも よければ
 手を とりあって行こうよ
 作業場近くまで ながれるように
 手の平の チカラをあたえもらい
 ぼくは ただ仲良くしたいだけだし
 仲間が一人でも ながれすぎて
 つらそうな時 みてみぬふりって
 ぼくは もうしたくないんだ
 だから そう手をとりあって
 心のいやせる しゅんかんを
 ぼくは 仲間といっしょに
 いたいだけなのだ」
 ダウン症の障がいが少しあるマー君は、原稿用紙に書くにも時間がかかったことだろう。日頃の作業所での一コマを、ていねいに描いていてホッとする素敵な詩だ。
 取材ではこうした人に会うことができるので楽しい。

2017-09-03

四街道市民ミュージカル「ドンマイ」を観て

 9月2日の午後1時から千葉県四街道市文化センターにおいて、千葉盲学校のフロアバレーチームをテーマにしたミュージカルがあり、約800人ほどの方たちと鑑賞させてもらった。一般に馴染みの薄いフロアバレーチームとは、視覚障がいのある人と健常者が一緒にプレイできるスポーツで、床上30cmに張ったネットの下を、動かすと音の出るボールを潜らせて得点を競う。
 4歳から81歳までの総勢100人の市民が、フロアバレーチームの当事者や多彩な応援者などになって2時間の舞台はテンポ良く展開していった。
 いくつも印象的な場面はあった。その1つが、小学生ほどの子ども約10人たちによるチアガールの踊り。音楽に合わせてリズミカルに踊る中で、頭の大きさは他と同じだが、足の長さが著しく短い子がいて、他の子と一緒に楽しく全身で飛びはねていた。
 演技を終えた後で会場外のロビーにいると、偶然にもその子がすぐ近くにいて母親らしき若い女性と話していたが、すぐに友だちの方に駆けていった。
 「お母さんですか」と聞くと、「はい」とのことで少し立ち話をさせてもらった。3歳のとき足の骨の発達に障がいがでる病気にかかり、今は小学校2年生だが背丈が低いこと、今回の出演は親や先生からでなく自らがチラシを持ってきて、「ぜひやりたい」とのことで実現したことなどを話してくれた。
 「お子さんの素敵な踊りで、私も元気をもらいましたよ」と伝えると、「ありがとうございます」と深々と頭を下げられて恐縮した。素敵な親子に出会えて嬉しかった。