2011-03-01

フィリピンの旅4

26日(土) 午前中は特別に用事がないので、村の中をスケッチしてまわる。木造の民家、丘の上にある学校、棚田など、どこもが絵になる。
 学校は休みだったが、1人の女の先生が出勤していたので職員室で少し懇談する。生徒は166名で、先生が6人と校長が1人とのこと。10年前は120名ほどであったから、1000名足らずの村で子どもの数がかなり増えている。
 午後は、面白い木があったのでノミと槌を借りてお面を創った。
 夜、セサーとカルロスを交えて、相川さんと私の4名で相談する。2000年のカセッピで設置した施設や装置を再利用し、発電機は中国製の安いものを使い、総額10万ペソ(20万円)の援助をお願いしたいとのこと。それで3集落の36世帯に送電が可能とのことで合意した。パソコンで要請文書を作ることで話は終えた。この段階で、すでにブランディは2本が空になっていた。
 夜は村の広場で民族の踊りを披露してくれて、その輪に私たち日本人も加わって遅くまで楽しんだ。
 ふと広場を離れて、学校に向かう山道を少し登った。広場の小さな明かりが見えなくなるとあたりは真っ暗な闇の中。見上げるとイルミネーションのように大きな星が無数に広がっていて圧倒された。天の川が、まるで雲のように流れている。大宇宙という自然の中に私がいることを、光のない場所で実感できた。自然との関係を遮断してきた文化とは、いったい何だったのだろうかと、ふと考えてしまった。

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