2011-07-14

台湾の旅2

 台北市内の2.28公園を訪ね、2005年に日本から運んで寄贈した被爆ハマユウに再会した。2.28とは、戦後に蒋介石が大陸から台湾に逃げたとき、多数のそれまでの台湾で活躍していた人たちを虐殺した事件を指す。まだ全貌が解明されておらず、どれだけの人が殺されたのかもわかっていないようだ。まだ台湾では戦後が続いており、そこで被爆ハマユウは「和平花」として公園の一角にある記念館の入り口近くに植わっている。台湾語と英語の解説文付きの大きな掲示板や、何と散水器も設置されており、大切にされていることがよくわかった。

台湾の旅1

 3泊4日で3万円を切る格安のツアーがあり、7月10日から13日まで妻と1年ぶりの海外旅行で台湾へ。故宮博物館を2時間鑑賞できるツアーも魅力的であった。成田から高雄に夜飛び、深夜にホテルへ入った。雨期でもあり、到着の4時間前は大洪水だったとのことであったが、着いた頃は大丈夫だった。
 11日は高雄市内の観光をした後で、台中から台北へとバスで移動。各地で活気のある町並みを見ることができた。
 台湾では八賢人が有名で、ガイドさんの話によると、この8人の神様が日本へ出発するときに1人が風邪を引いて出掛けられなくなり、そこで日本では七福神になったとのこと。七福神の1人は日本の土着の神だから、7人が台湾から来たとの話はおかしいと思うが、要はご利益のある神様であれば宗教にこだわらないのは台湾も同じようだ。
 台北市内の龍山寺もそうで、本堂に仏教の観音様を祭ってあるのはわかるが、その他に道教や儒教の神様も全部で7体も祭り、参拝者は大きな線香を7本持ち、違和感なく順番に参拝していた。

2011-07-07

福島県いわき市へ

 7月6日の早朝、愛用の折りたたみ自転車を持って常磐線を北上。勝田駅で乗り換えて、福島県の泉駅で降りたときは11時になっていた。暑い駅前で自転車を組み立て、小名浜港を目指した。30分ほどでたどり着いた港の変貌に驚いた。漁船はいくつか泊っていたが、かつての活気はまったくない。市場やたくさんの物産展などは、ガレキを撤去しているが、土台だけだったり、残った建物も1階は大破し、柱がゆがんでいたりする。電柱にぶつかったままの大きなコンテナもあった。
 やっと1軒の食堂があったので入ると客は私1人。聞くと船は出ても、福島の魚はまったく売れないので、宮城や千葉などに卸しているので、ここにはまったく上がってこないとのこと。このため製氷工場や加工工場、そして物産店などにまったく魚が出せずに困っているとのことであった。
 その後自転車で、湯元駅近くのパルシステム福島を2時に訪ね、専務さんから震災の対応などを聞いた。NPOなどと連携し、仮設住宅への支援などをしている。
 3時半から再び自転車で泉に戻り、4時からはコープふくしまの「いわき支部」を訪ね、支部長さんから話を聞いた。放射能の学習会や線量計の共同購入など、大変な中で模索をしている。放射能の汚染は、茨城に住む私も他人事ではない。


 6時に電車に乗り、買った500ミリのビール2本を一気に飲んだ。家に帰ると、両腕が日焼けで真っ赤になりヒリヒリするは、久しぶりの折りたたみの堅いサドルだったので腰も痛くなった。

東京平和映画祭 2011年

 6月26日に第8回目が開催となって参加した。今年も刺激的な以下の映画であった。
  1、源八おじさんとタマ
  2、隠された被曝労働
  3、チェルノブイリの真実
  4、原発導入のシナリオ
  5、わしも死の海におった
  6、幸せの経済学
 この他に、柴野徹夫氏「核・原発依存、きっぱりやめるとき」、藤田祐幸氏「ヒロシマ、ナ ガサキ、そしてフクシマ」、上杉隆氏「震災報道と1億総洗脳化社会」、飯田哲也氏「核によ る大厄災、石油を巡る戦争から、太陽による平和へ」の講演もあって参考になった。
 「隠された被曝労働者」は、2007年までで原発に関わった労働者170万人、その中で40万人が被曝しているとのこと。労災を受けたのはわずか7例で、まさに闇から闇に葬られている。福島の第一原発でも同じことが今も続いている。
 「わしも死の海におった」は、ビキニでの水爆実験に関連して高知の宿毛高校の調査。何回もの実験を繰り返し、死の灰は太平洋だけでなく日本にまで届いていたことに驚いた。
 来年がまた楽しみだ。