2013-02-28

生協ライター講座

 定年後に現役の生協職員に少しでも何か貢献できないかと、2013年1月からスタートさせたのがこの講座である。文章力をアップさせて、各自が楽しく有意義な人生をおくるように願っている。日本生協連から7名集まった1月に使ったレジメは下記である。 文章と人生を楽しむ   生協ライター講座(仮)のスタートにあたり               2013年1月23日 西村一郎                          1、はじめに   ①私のこだわり   ②ここで何をしたいのか 2、文章の素晴らしさ:文は人なり   ①相手に自分の気持ちを伝える1つの優れたスキル   ②一生の宝   ③人を変え社会を変革する力を秘めている 文(ふみ)霊(だま) 3、文術から文道へ   ①文術:効果的に伝える術   ②文道:私の人生を豊かにする 4、大切な主語   ①主語のない言葉   ・「一人は万人のために 万人は一人のために」   ・「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」   ②日本生協連2020年ビジョンにおける5つのアクションプランの主語は?     (1)組合員の願いを実現するために、食を中心にふだんのくらしへの役立ちをより一層高めます。事業革新に不断の努力をつづけ、組合員のくらしに貢献し信頼を培います。     (2)地域のネットワークを広げながら、地域社会づくりに参加します。     (3)平和で持続可能な社会と安心してくらせる日本社会の実現をめざし、積極的な役割を果たします。     (4)組合員が元気に参加し、職員が元気に働き、学びあい成長する組織と、健全な経営を確立します。     (5)全国の生協が力を合わせ、組合員のくらしに最も役立つ生協に発展させます。 5、読書の薦め   ①書物を読む    新聞、雑誌、本、インターネット情報   ②日本や世界を読む 6、世界の動き   ①人類は発展し豊かになっているのか?   ②富の集中   ③オイル・ピーク論   ④エネルギー資源の変遷  木材→石炭→石油→? 7、東日本大震災が問いかけたもの   ①核時代:人類が共存できない放射能と生きていく社会   ②原発安全神話以外にも神話が     コンクリート神話、科学神話、エリート神話、生協にも神話が・・・   ③首都圏が第2のフクシマになる危険性:30年間に震度6以上の地震:東海第二原発67.5%、浜岡原発95.4%、横浜71.0%   ④収奪先の拡がり  地方・弱者  海外  未来 8、変革の主体は?   ①所属部署の変革の主体は?   ②日本生協連の変革の主体は?   ③社会の変革の主体は? 9、自分の文を書く   ①自分の生きた言葉で   ②修飾語は少なく   ③言葉へのこだわり   ④継続  2月の講座までに参加者から5本の作品が届き、その中の1本を8名で講評した。大半が20代で、若い感性のあふれる文で楽しくなる。  写真は上野公園にある国立西洋美術館の前庭で、梅の花がいくらかほころび始め、かすかに甘い香りがしていた。ロダンの「カレーの市民」と奥には「地獄門」が見える。

2013-02-27

「「東電福島第一原発事故による放射能汚染の現状と課題」(生井兵治)

 私の所属する日本科学者会議の食糧問題研究会では、1月26日に公開研究例会として「東電福島第一原発事故による放射能汚染の現状と課題」(生井兵治)を開き、始めての試みとして下記のユーチューブで配信している。  http://www.youtube.com/watch?v=XO1rKquR0eY  この会の委員長として、冒頭に少し挨拶した私が映像に入っている。こんな便利な時代になったものかと、あらためて驚く。  政府が「収束宣言」を出したりしているが、その後も大気や海水の放射能汚染は進んでいるし、子どもを含めた住民の健康の不安は決して消えていない。人々が注目しているのはガンマ線のセシウムだけだが、より猛毒のアルファ線やベーター線のプルトニウムやウランなどの核種については、放出されているがデータがない。そもそも危険と安全の境界線である「しきい値」が人工の放射能にはないのだから、100ミリシーベルトは論外にしても、20ミリシーベルト以下であれば安全というのも意味がない。それとよく聞くのは、「大人であればガンになるのは10年も先だから」であるが、チェルノブイリ原発事故による影響をみると、事故の直後から血液や心臓の病気が子ども以外でも多く発生している。広島や長崎の原爆によって、直後から何事もやる気の出ない「ぶらぶら病」が出たことも忘れてはいけない。  こうした分からないことがまだまだ多いことを考えると、「正しく怖がりましょう」という一見正論のような呼びかけも、何が正しいのか分からない現状では虚しく聞こえるし、問題を過小評価するだけである。

2013-02-21

円空展を観て

 上野公園の東京国立博物館で円空展があり、2月20日の午後に足を運んだ。上野公園の改修工事が終わり、噴水付近は綺麗になっていたので良かったが、以前に多くいたホームレスの人たちの姿が見えないので、この寒い空の下でどこへ行ったのか気になった。  17世紀の後半に飛騨を中心にして、遠くは北海道まで足を伸ばした円空は、実に12万体もの仏像を彫ったとのことであるが、現在はその約5000体が残っている。その中の飛騨の千光寺を中心とした100体が会場に陳列してあった。手の平に乗るような小さなものから見上げるほどのものもあり、どれも表情や雰囲気が違うので1体ごとに楽しむことができた。ナタ彫りという荒々しい彫刻で、木目や節も活かし、彩色はしていないので樹木の肌がそのままである。もちろんナタだけで仕上げたわけでなく、杉や檜の丸太を縦に割り、それに鋸やナタで大まかな形を作り、ノミを使って仕上げをしている。その荒々しさや線の勢いがどれも生きているから凄い。  円空が訪ねた村で木を削り、それは村や個人の守り神になったり、時には子どもの遊び相手にもなったという。木に宿る仏を、円空は無心で形にしてきたのだろう。丁寧に仕上げて金箔をはった仏像とはおおよそ趣は異なるが、生きる力をどれもが伝えてくれる。なお写真のポスターにある像は、2つの顔を持つ両面宿儺(すくな)坐像で、両手でもつ斧と一緒に見る者を圧倒する気迫をかもしていた。  時間ができたら私も彫刻をしたいと考え、以前から材木を集め道具も準備した。しかし、定年になったが他のことで飛び回っているので、大小の材木は残念ながら埃をかぶったままである。ぜひ円空のように自由な像に挑戦したいものだが。  

2013-02-19

トルコの想い出

 2013年1月28日から2月4日にかけ、格安のトルコ遺跡巡りツアーがあり妻と参加した。全ての食事と燃油サーチャージ(4万5000円ほど)込みで10万円を割るのだから、どんな仕組みになっているのか理解に苦しむが、年金の半分で暮らしている身にとってはありがたい。もっとも出発の日が大雪で、家は1時間ほど余裕を持って出たが、途中のJRの線路に雪で竹が倒れて不通となり、どうにかして成田にたどり着いたのは集合時間を大幅に遅れ、搭乗の手続き時間締め切りを過ぎていたが、事前に電話をしていたので滑り込みセーフとなり、寒い中にもかかわらず冷や汗をかいた。  初のトルコの旅は、実質6日間で現代と古代を長距離バスで忙しく廻った。トルコの玄関は、アジアとヨーロッパの接点にあるイスタンブール。70年代にヒットし大好きだった「飛んでイスタンブール」の歌の世界である。もっとも歌詞にある砂漠はトルコのどこにもなく、歌と現実の世界の違いはいくつかあった。かつてクリミア戦争のときに、ナイチンゲールが活躍した場所で、看護婦の始まった地でもある。シルクロードの中継地でもあり、アジアとヨーロッパの文化が融合した面白い街でもある。1例が書である。中国や日本などの筆の書に対して、こちらはブラシで書いているが、自由に勢いよく走る線は同じであった。  歴史の教科書で学んだトロイの木馬(改修中で写真しか見えず)や、鉄製品を最初に使ったフィッタイ人の遺跡などもあれば、古代ローマ人による水道の遺跡などもあり、時間を超えてスケッチも楽しむことができた。いくつかの遺跡ではまだ発掘中のものもあり、かなえるものなら何年か後に再度訪ねたいものだ。  毎日のように4から500kmほどバスで移動し疲れたが、その新しいバスにも驚いた。トルコで生産してヨーロッパにも広く輸出している最新の大型バスでゆったりし、Wifiの設備を備え移動中に持参したパソコンでインターネットのメールを見て、急ぎの返事を何本も日本へ発信することができた。昨年の経済成長は、中国についで2番目というのもうなづける活気が市内にあった。ただ、その経済成長を支えるため、日本からの原発輸入を検討しているとの話を聞き、まだ放射能の汚染が心配な取手市で暮らしている者としては、喜ぶ気分にはとてもならなかった。  

2013-02-18

原発災害とアカデミズム

 2月11日に東大本郷において、「原発災害とアカデミズム」をテーマのシンポジウムがあり参加した。福島大学原発災害支援フォーラム(FGF)と東京大学原発災害支援フォーラム(TGF)のメンバーによる同名の出版を記念しての催しであった。 10時から6時までの長丁場で、午前中は2つの報告、午後は討議Aで「住民支援と教育・研究」で4名の報告、続く討議Bは「研究者と被災者・市民との交流」で5名の報告があり、どれも現場の動きに即したそれは充実した内容であった。詳しくは本を読んでもらうしかないが、東電福島第一原発の事故によって今も続く事態は、これまで人類の経験したことがないことであり、政治的な国際放射線防御委員会(ICRP)のみの評価で上から判断するのでなく、現場を共有して模索することの必要性を強調していた。別の表現をすれば「無知の知」を知り、最終判断は避難者を含めた国民の一人ひとりであることを謙虚にうけとめることでもあう。3月から本格的に福島の被災地へ入る準備をしている私には、いくつも大切な切り口や姿勢を考える場になった。