2013-04-25

映画「二十四の瞳」

 久しぶりにビデオで、木下恵介監督の映画「二十四の瞳」を観た。インターネットで無料鑑賞できるから、便利になったものだ。
 第二次世界大戦の前と後で、瀬戸内海の小豆島に生きる高峰秀子さん演じる大石先生が、時代に翻弄されながらも12人の教え子の成長と相まって、社会と正面から向き合い人間らしく生きていく感動作である。何回も熱い涙を流しながら画面を追った。
 作者の壺井栄さんは、小豆島出身だが小学校しか出てなく、子どもから大人までを読者の対象とした家庭小説としての創作ではあるが、事実を積み上げるノンフィクションやルポよりも、社会の動きや人間の在り方の本質を見事に描いている。1952年で栄さんが52歳のときに仕上げた本だから、それまでの全人生をつぎ込んで仕上げたのだろう。「戦争反対!」と声高に叫んでいるわけではないが、田舎の1女性の素直な生き様を通し、いかに戦争が非人間的であるかを描き、じんわりと静かであるが力強く反戦を訴えている。
 東電福島第一原発により、これまでになく不条理な核社会となった我が国において、「二十四の瞳」のように政治スローガンを全面に出すのでなく、人間性や倫理のレベルから反核を拡げることは意味がありそうだし、その精神は次の福島をテーマのルポの本にぜひ
活かしたい。

2013-04-22

「合唱団この灯」20周年演奏会

 4月21日の午後に、錦糸町にある「すみだトリフォニーホール」の大ホールで、「合唱団この灯」の20周年演奏会があり、歌っている東大生協OGの知人がいて妻と足を運んだ。1000人ほど入る大ホールがほぼ満席で驚いた。「浜辺の歌」で始まり、荒木栄の「仲間の歌」や「百万本のバラ」などもあった。「浜辺の歌」を聞くと、100歳で亡くなった新藤兼人さんの自伝でもある映画「愛妻物語」を想い出す。
 休憩の後は、カンタータ「この灯を永久に」より、「3 祖母キクの独唱」と「10合唱」があった。「この灯」とは広島で燃えていた原爆の火であり、それを祖母からもらった懐炉で九州にまで運んだ山本達雄さんをテーマにした組曲である。キクさんに会ったことはないが、山本達雄さんには生前に九州の星野村で会ったことがあり、当時を想い出しながら聞かせてもらった。
 特別出演で、福島県立いわき海星高校生によって、太鼓と鐘を打ちつつ震災の犠牲者にも捧げる鎮魂の
「じゃんがら念仏踊り」があった。
 「3.11に心寄せて」では、「私がそだった町」、「ふるさとは、今」、「ぼく外で遊びたいなあ〜」、「ぼくはわたしは生きる」、「雲に人間を殺させるな」と続いた。どれも新しい歌で始めて聞いた。それぞれ3・11の犠牲者や避難者に心を寄せたいい歌である。「ぼく外で遊びたいなあ〜」を歌ったのは、地元の「すみだ どんぐり森モリモリーズ」の親子約100名で、放射能汚染で外遊びのできない福島の子どもたちの気持ちを伝えていた。
 最後は出場者全員が、会場の参加者と一緒に「故郷」を歌って終えた。いい時間を過ごすことができた。

2013-04-21

みらいに向かって、広がれ市民活動の輪

4月20日(土)に、さいたま市民文化センターにて、コープみらい埼玉県本部主催の市民活動助成金活動交流会があり足を運んだ。100名をこえる参加者に対して、以下の6団体からリレー発表があった。①ふじみ野市避難者活動及び交流会(ふじみ野市避難者支援活動実行委員会)、埼玉県内視覚しょうがい者の移動支援(NPOことばの道案内)、お母さん達の声を生かした遊び場づくり、(さいたま冒険遊び場・たねの会)、ネパールの教育現状を考える国際協力活動(NPOミランクラジャパン)、ひだまりの小さな書作展(障害者書道クラブ)、農地再生と有効活用(NPOここ街クラブ)。どれもが志を同じくする市民が協力し、試行錯誤しながらも楽しく活動している。盲人の歩行支援や障がい者の書道支援など、こんなにも弱者に寄り添った丁寧な取り組みがあるのかと感心し嬉しくなった。民意度の高い埼玉である。
 講評と「コープみらい」の地域社会づくりについての話があり、休憩をはさんで12の各テーブル別に交流会をしたので、全員が話をする機会があった。テーマは異なっても、若者への訴え方や地域への宣伝など、他の運動から学ぶことはいくつもあって熱心に交流していた。
 この3月に出版した『3・11 忘れない、伝える、続ける、つなげる』で取材させてもらった、「おあがんなんしょ」や「一歩会」や「にんじん」の元気な方たちも参加していたので、本のお礼を伝えた。「各団体を客観的に描いているので、励みになります」との声をもらい、とりあえずホッとしている。
複数の方から、この本はどこで購入できるのか聞かれた。日本生協連出版部なので、生協内部でしか流通してないと受け止めているようだが、一般書店やアマゾンでも入手可能なので、ぜひ1人でも多くの方に読んでほしい。
 ともあれ埼玉における市民力が、こうして生協も関わって楽しく拡がっていることはワクワクする。たくさんのドラマを、どこかで本にしたいものだが。

2013-04-15

映画「先祖になる」

 都内のポレポレ東中野において、「先祖になる」を観た。岩手県陸前高田市で被災した77歳の佐藤直志さんの生き様を、寄り添って丁寧に描いたドキュメント映画である。消防団だった一人息子を津波で流された佐藤さんは、被災して壊すことになった実家の跡に、津波で立ち枯れする近くの気仙杉を使って家を新築した。半分農家で、後の半分は木こりとして働いていた佐藤さんは、仲間の協力も得て、自分で大きな杉を何本も切って準備する。津波が来た場所に建物はダメという行政や、再び同じ高さの津波が来ればと心配する奥さんもいれば、自らの病のことなど、悩み事はいくつもある。それでも生きている間は、自らの力で前に進もうとする佐藤さんの情熱が良く伝わってくる。頑固な姿と同時に、神社に奉納してある背丈よりも高い自作の男根を紹介するなど、ユニークに生きるたくましさも紹介していた。
 「人間は働かないとダメになる」
 ガレキの残る畑には、蕎麦の種をまいて育てて収穫する佐藤さんの言葉は重い。
 私が3年前に建てた小さな平屋には、全て国産の木材にこだわり、柱や床や梁は近くの栃木産を使い、全ての腰板には気仙杉をはった。もしかすると佐藤さんが切り出した気仙杉かも知れず、映画を観つつかってに想像を膨らませていた。震災だけでなく、どう人間は生きていくかを考える上でも参考になるいい映画である。

2013-04-12

旧騎西高校の避難所を訪ねて

 3カ月ぶりに埼玉県加須市にある旧騎西高校の避難所を訪ねた。全国で唯一残った東日本大震災の避難所で、双葉町から一時期は1400名もいたが、今は高齢者を中心に125名とのことであった。当初から旧さいたまコープが、週に1回の木曜日だが夕食時に合わせて味噌汁などの炊き出し、11日も約30名のボランチアの方々が頑張っていた。旧さいたまコープだけでなく、パルシステム埼玉の方もいて、辺鄙なここで継続して活動されていることに、本当に頭が下がる。その日のメニューは、ジャガイモ・玉ねぎ・人参・豚肉の豚汁に、大根の田楽、そしてパルシステムPBのヨーグルトであった。3時過ぎから準備し、5時から各廊下で手渡して、受け取った避難者が喜んでいた。  それにしても教室などの間仕切りのない畳の上で、プライバシーもない生活が今も続いている。古里の双葉町は放射能の汚染が高く、いつ帰ることができるか不明である。先の見通しのまったく立たないまま、棄民化された避難者の苦労がまだまだ続く。ここに私は、来るたびに日本の縮図を見る。その様子は、この3月に出版した『3・11 忘れない、伝える、続ける、つなげる』の1章でも書かせてもらった。  4時半から、先の町長選で選出された新しい伊澤史朗町長の話を聞くことができた。被災当時の話をしている途中で、思わず込み上げるものがあって唇をかんで目頭を熱くした伊澤さんに、町長としての誠実さを感じた。勉強した麻生獣医大で生協の学生委員として活動し、双葉町ではパルシステムを利用していて生協には親近感を今でも持っているとのことで嬉しかった。6月には、復興バブルに沸く福島県いわき市へ役場が移る。引き続き大変な状況は続くが、町長が健康に留意されて、協同を大切にした復興が一歩でも前に進んで
ほしい。

2013-04-09

捕まえた鯉

 昨日のことである。犬の散歩で近くの水田を歩いていると、一昨日の大雨で増水している小さな水路が波立っていた。蛙かと思ったが背びれがあって違う。よく見ると大きな鯉が数匹いた。「これはしめた」と捕まえて家に運び、庭に置いた大きなタライに水をはって放した。写真がその鯉で、全長50cmほどもある。子どもの頃に高知の田舎の小川などで、よく魚を獲っていたことを思い出した。あの頃は、50cmほどのフナも捕まえて食べたものだ。貧しい農家だったので炭で魚を焼き醤油を付けて食べただけで最高に美味しかったし、何より魚を追いかけた興奮は今も鮮明に覚えている。この経験から食べる喜びとは、皿の上の料理を味わうだけでなく、素材を手に入れるときから始まると私は自覚している。もっともここでは放射能の汚染が高くて食べるわけにいかず、孫たちの観賞用である。近所の人に見せたらよく素手で捕まえたと驚き、その1人が「死んだ鯉は柿の木に埋めると、柿がそれは甘くなる」と教えてくれた。庭に2本の柿の木があるので、できればそうしたいものだが、これも鯉で濃縮した放射能が影響するので助言にそうわけにはいかない。孫たちが見て楽しんだ後は、いずれ近くの小川に放すつもりである。  陸上の放射線において問題視されているのは2種類のセシウムである。セシウムはもちろん危険であるが、原発の汚染水には64種類もの放射性核種が含まれているとのことであり、骨や肉により付着しやすいストロンチウムなども、陸上を汚染していると考える方が自然ではないだろうか。大変な世の中になったものである。

2013-04-05

桜の下で

 過日に上野公園を横切った。いたるところが満開の桜で、それは見事であった。小鳥が桜の花を口にして蜜を吸い、終わると花びら落とす。そよ風にも花びらが、優雅に舞い始めていた。寒い冬から温かい春になったことが誰にでもわかり、知らず知らずに心が浮き浮きとする。朝の9時過ぎであったが、すでにブルーシートなどを敷いて、夜の花見の場所取りをしている人たちもいた。それほど桜の花を愛でる人が日本では多い。  それはそれで結構なことだが、ふと見るとホームレスの姿が桜の下にいくつかあり、その1人は女性であった。夜になればまだ冷えるし、まして雨でも降れば雨宿りする場所探しも大変である。飲めや歌えの花見の傍で、こうした社会的弱者が存在する。日本の経済力は世界の第3位であるにも関わらず、未だにホームレスの姿はなくならないし、むしろ増えている地域すらある。社会の何かがおかしい。  形は異なるが、アベノミクスによる円安で自動車などの輸出産業は浮かれていても、石油などの輸入産業はたいへん困っている。また日本にプラスとなったとしても、相手国には逆の効果を及ぼすのでマイナスになる。1つの価値観だけで判断する危険性がここにもあると私は心配する。

2013-04-01

「原発災害と生物・人・地域社会」シンポジウム

 3月30日(土)の10時から夕方まで東大農学部にてタイトルのシンポがあり参加した。上野駅から東大へ向かうため横切った上野公園は桜が満開で、朝から花見客で賑わっていた。熱気にあふれた東大の会場では、福島第一原発からの放射能汚染による現地の生物への影響について興味深いデータがいくつかあった。猿や蝶や鶯などで、明らかな影響が出ており、これらがいずれ形を変えて人間にも出てくるのではないかと心配だ。福島県飯館村の住民3名からの貴重な報告もあった。どうにかして前向きに生きていこうとされているが、仕事や住まいなどいくつもの課題があり困っていることがよくわかった。その一人は、放射能の情報がまったくない中で2カ月も放置されたことに対しての憤りを話していた。南相馬の親類の家族が、わざわざ線量の高い飯館村に避難してきて、一緒に2カ月も生活し、この結果として20mSvもの放射能を浴びたとのことであった。とんでもない被曝量で、すぐに正確な汚染情報を流していれば、こんなことには決してなっていない。政府の怠慢の何ものでもない。