2013-04-12

旧騎西高校の避難所を訪ねて

 3カ月ぶりに埼玉県加須市にある旧騎西高校の避難所を訪ねた。全国で唯一残った東日本大震災の避難所で、双葉町から一時期は1400名もいたが、今は高齢者を中心に125名とのことであった。当初から旧さいたまコープが、週に1回の木曜日だが夕食時に合わせて味噌汁などの炊き出し、11日も約30名のボランチアの方々が頑張っていた。旧さいたまコープだけでなく、パルシステム埼玉の方もいて、辺鄙なここで継続して活動されていることに、本当に頭が下がる。その日のメニューは、ジャガイモ・玉ねぎ・人参・豚肉の豚汁に、大根の田楽、そしてパルシステムPBのヨーグルトであった。3時過ぎから準備し、5時から各廊下で手渡して、受け取った避難者が喜んでいた。  それにしても教室などの間仕切りのない畳の上で、プライバシーもない生活が今も続いている。古里の双葉町は放射能の汚染が高く、いつ帰ることができるか不明である。先の見通しのまったく立たないまま、棄民化された避難者の苦労がまだまだ続く。ここに私は、来るたびに日本の縮図を見る。その様子は、この3月に出版した『3・11 忘れない、伝える、続ける、つなげる』の1章でも書かせてもらった。  4時半から、先の町長選で選出された新しい伊澤史朗町長の話を聞くことができた。被災当時の話をしている途中で、思わず込み上げるものがあって唇をかんで目頭を熱くした伊澤さんに、町長としての誠実さを感じた。勉強した麻生獣医大で生協の学生委員として活動し、双葉町ではパルシステムを利用していて生協には親近感を今でも持っているとのことで嬉しかった。6月には、復興バブルに沸く福島県いわき市へ役場が移る。引き続き大変な状況は続くが、町長が健康に留意されて、協同を大切にした復興が一歩でも前に進んで
ほしい。

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