2013-05-28

「たのしい講談・やくだつ鍼灸」

 5月26日(日)の2時から会津若松の鶴ヶ城側にある市文化センターにおいて、避難者が講談と鍼灸を学んで元気になるイベントが生協パルシステム連合会の協賛で開催となり出かけた。タイトルは「共に頑張ろう!会津 たのしい講談・やくだつ鍼灸」で、講談にはANA寄席でおなじみにの神田紅さん、鍼灸は深山(みやま)すみ子さんが話してくれた。
 神田さんは、大きな声を出すことによって元気になると、自作の「八重の桜」の原稿を皆に配布し、強弱を付けての発声を練習させてくれた。講談の構成や、「メリハリ・ツッコミ・うたい調子」も分かりやすく解説してくれたので、講談が身近になった。また元気な講談「貝原益軒と養生訓」も楽しく勉強になった。
 深山さんは、ようじの束や火を使わないお灸も含めて、いろいろな形でツボを刺激する方法を教えてくれたし、ツボについて書いた自著も全員にプレゼントしてくれたので、これも大いに参考になる。
 120名ほどの参加で広い会場は少し寂しかったが、笑いや熱気があたりに一杯であった。集いの後での交流会にも、2人は参加して気さくに懇談していた。
 なおパルシステム連合会は、マイクロバスとバンで東京から駆けつけ、仮設住宅と会場の送り迎えをして後押しをしていた。お疲れ様でした。
 なお写真は舞台でお灸の実演をしている場面で、奥の左は深山さんで右は神田さん。
 27日は、前日の集いを企画した二瓶さんにお願いし、大熊町の仮設総学校を訪ねて校長さんに会って、子どもの現状や課題などについて話を聞かせてもらった。2011年の役場が会津若松へ避難するときに、2校の小学校と1校の中学校も移転させた町で教訓的であった。その後、楢葉町からの仮設住宅や、現代的な仏壇屋と会津木綿の工房も見学させてもらった。復興支援と同時に地域興しも大きな課題である。またゆっくりと会津若松を訪ねたいものだ。

ネパールの子ども支援

 5月24日の夕方6時半から、渋谷のコーププラザにおいて「ネパール子ども基金・里親の会」があり、韓国より戻った成田空港から直行した。以前から日本生協連の職員を中心とし、私を含めて26名の里親が年1万2000円の会費で、地元のNPOであるHEENEPを通して子どもの勉学を中心に支援している。
 この日はやっと届いた決算書を私が説明し、そのあとに話し合った。いったい支援金のどれくらいが子どもに渡っているのか分からず、不信感もいくらかで初めていた。収支決算書をみると、2010年度は79%、2011年度は75%が子ども関連の費用であり、後は組織で活用している。これくらいであれば引き続き支援しようとなり、他の里親にもこれで案内することになってホッとした。会費の半分以上が組織の経費になっているNPOなどもあり、それに比べれば健全な運営といえる。もっとも子どもに渡る割合が低下しているので、高める努力をしてほしいと翌日にHEENEPの責任者へメールした。

2013-05-25

韓国の旅2

 5月23日にソウル特別市にあるホ・ジュン博物館を訪ねた。私はまったく知らない人であったが、韓国ドラマで日本でも放映され熱心なファンもいるようだ。1610年に東医宝鑑という本をまとめるなど、薬草や鍼灸などによって人々の健康を守る活動の総合的な体系を作った人である。
 薬草といっても、野山に行けばどこにでも生えているような草花から、樹木の皮、根、金属、石、玉などにも及び、それも中国の翻訳だけでなく、あくまでも韓国の現状に合わせて調査して効能のあったものを編集しているから凄い。朝鮮は中国の文化が日本に渡ってくる途中の地域程度の認識しかしない人もいるが、独自の高度な文化を形成していることがこの一例からもわかる。
 食事にもそうした独自の健康を守る考えは活かされ、夜に食べた豆腐専門店では、味の濃い寄せ豆腐だけでなく、黒ごまで灰色になった豆腐や、人参で黄色になった豆腐などもあって美味しくいただいた。なお火を通していないマッコリ酒も味が良くて、2リットルほどの陶器の容器で出てきたマッコリでも上質のトントン酒を飲み干した頃は、ほぼ出来上がってしまいフラフラになって帰った。いくら体の良いものでも、量は限度がある。

2013-05-24

2年ぶりのソウル

 22日から一人で成田から韓国の仁川(インチョン)空港に飛び、2年ぶりにソウルの奉仕団太陽会の本部を訪ねた。台湾へ「原爆の火」を灯す運動が進んでおり、その中心になっている太陽会の代表である高橋公純さんと相談することがメインであった。親日が多い台湾で、3つの市に働きかけて灯す計画を出しており、そこに提出する日本の取り組みの文書を持参して相談した。来年には1つは実現させたいものである。
 夜は前回同様に歓迎会をしてくれて、たくさんの美味しい手料理や地酒の「百年酒」もあったし、
 私は挨拶で、3・11に対する2度の募金に感謝し、被災地の復興の現状と同時に、原発からの避難者が帰るあてもなく、不安の中ですごしておりこれまで以上に助け合いが大切になっていることにも触れた。
 後半からはカラオケや踊りもあって楽しく懇親することができた。年配の女性の「アリラン」は圧巻であった。
写真は、カラオケも終わり全員での記念写真。(仁川国際空港にて投稿)

2013-05-21

福島の子どもの絵

 徳間書店から出た『ふくしまの子どもたちが描く あのとき、きょう、みらい』(2011年10月31日)を観た。福島相馬の小学生たちの絵を使い、蟹江杏、佐藤史生編の素敵な本である。
 本にはたくさんの絵がカラーで掲載され、その子の想いなども添えてあるので、どんな気持ちで描いたのかよく分かる。
 その1枚が、本の表紙となった「つなみがくるこうけい」である。描いた男の子は、「つなみで友だちの家とかぼくのおばあちゃんがながされたからつなみがきたこうけいをかきました。つなみでサーフィンしているのは、しょうらいのぼくです」と添えている。
 祖母が犠牲になるほどの被害を受けた憎い津波である。それを大人になったときは、サーフィンで乗り越えてやるという気持ちが凄い。
 こうした子どもが成長し、ぜひ形は違ってもサーフィンで社会の壁を乗り越えていってほしいし、そのために今の私たち大人のすべきことはいくつもあるだろう。

2013-05-20

TPPと自民党農政の行方

 5月18日(土)1時半から4時半まで、文京区民センターの会議室において、所属する日本科学者会議食糧問題研究委員会の公開研究会を開催した。報告者は、日本農業新聞社の藤井庸義さんで、昨日首相が発表した農家の所得倍増計画の「攻めの農林水産業の具体化の方向」もあり、参加した20名と一緒に興味深く聞いた。
 そもそもTPPは、環太平洋の国々で貿易を活発化させるとしているが、アメリカの国益を守るためのものであるし、すでに交渉は進んでいるが、どのような内容なのか秘密裏に議論がされているので、確認事項もよく分からない。藤井さんの話では、国民やマスコミだけでなく、政府の中でも農林水産省にも情報が流されていないとのこと。都合の悪いことは全て秘密にし、公になったときは決まった後になるとのことで、これでは民主主義の完全な否定でもある。
 これまでの人類の叡智は、民衆の議論も含めて民主的に進めることであったが、農業だけでなく金融や医療などの多方面のあり方に大きく影響を及ぼすことに、時代錯誤もはなはだしく秘密で進めるとは言語道断である。
 日本の農林水産業が壊滅すると言われているTPPを安倍首相は進めつつ、昨日は農家の所得倍増計画を発表した。2つの方針が両立することは絶対にありえないことで、政府もそれぞれ別のものとして発表しているが、これほど人を馬鹿にした話は
ない。今後ともTPPの動向を注目する必要がある。

広島・長崎の火

 久しぶりに都内にある「下町人間の会」を訪ね、燃える「広島・長崎の火」を見てきた。1990年に私も参加し、福岡県星野村で山本達雄さんが燃やし続けていた広島の原爆の火をもらい、長崎市では原爆瓦にドリルを当てて彩火し、それぞれを東京に運んだものである。上野東照宮の境内に大きなモニュメントを作製し、広島の火は8月6日に点火し、9日に長崎の火を重ねた。その火の下には、「核兵器をなくし、永遠に平和を誓う広島・長崎の火」と刻んでいる。
 この火は2011年の「上野の森に広島・長崎の火を灯す会」の集計で、国内は北海道から沖縄までの45カ所と、海外ではニュージランドとカナダで市民団体などが平和への願いを込めて灯している。他にも孫火が拡がり、たとえば韓国でも灯っているので、実際はもっと多い。
 こうした平和を願う火を台湾に灯す運動が現地でおき、以前に「被曝はまゆう」
を台湾に運んだ関係で、今回も私は協力させてもらっている。
 なお写真の右が広島・長崎の火で、左は10万人が殺された東京大空襲によって焼けた材木から彩火したものである。

2013-05-09

映画「シェーナウの想い」

 パルシステム連合会を訪ねた打ち合わせの後で、会議室にて映画「シェーナウの想い〜自然エネルギー社会を子どもたちに〜」を上映していたので一緒に観させてもらった。ドイツの2500人の小さなシェーナウ市で、チェルノブイリにおける原発事故を受けて、わずか10名の母親が中心となって「原子力のない未来のための親の会」をつくり、協力しあって放射能から身を守る情報を発信するスタンドや、家庭からの意識変革のため節電キャンペーンや節電コンテストもした。
 さらには市と独占的に契約していた電力会社に対し、原発に頼らない電力供給や、エコ電力の利用を申し込むが軽くあしらわれる。怒った母親たちは、それでは自分たちで電力会社を立ち上げようと運動を展開し、いくつもの妨害や困難などを乗りこえて1997年に何と望んだ電力を流し始める。そうした感動的な実話の映像であった。
 上映の後で、一緒に鑑賞していたルポ作家の鎌田慧さんが、ドイツでできたことは日本でもできるとコメントしていた。同感である。やる気もなければ能力もない政治屋や大企業に全てを任せるのでなく、私たちが協力してできることはいくつもある。一人でも多くの方にぜひ観てほしい映画である。

2013-05-06

公開フォーラム「子どもたちの未来のために」

 5月5日の1時半から4時半まで、都内の日比谷図書館の地下の大ホールで、公開フォーラム「子どもたちの未来のために・・・健康被害の未然防止と支援法の早期実施を求め1mSvを守ろう」があり参加した。主催は、放射線被ばくと健康管理のあり方に関する市民・専門家委員会で、それは多彩な話があり勉強になった。話のテーマだけを並べても以下である。①原発事故子ども・被災者支援法の現状と今後、②なぜ1mSvか? 国際的な研究が示す低線量被ばくの健康への影響、③福島県県民健康管理調査の問題点、④チェルノブイリからの教訓、⑤子どもたちの健康を守るためにとあった。そして後半は会場からの質問や意見を交えてのパネル討論であった。
 子どもの健康や命を守ることよりも、金儲けや経済成長に今も走っている残念な現実を再認識することになった。
 集会の後は「こいのぼりウォーク」となり、日比谷公園から厚労省や東電本社前などを経由して1時間ほどのデモ行進であった。デモがあるとは知らずに革靴で参加していたので少し足は疲れたが、小さな鯉のぼりを私も持って久しぶりのデモやシュプレヒコールを楽しんだ。それにしてもデモの様変わりには驚く。太鼓やトランペットなどの楽器を鳴らし、ピンクのメイド姿の若い女性は、軽やかにステップを踏みつつ、「福島の子どもを守ろう!」、「放射能から守ろう!」と明るく呼び掛けていた。
 なお集会やウォークに生協からは、パルシステムの仲間が4名参加していた。お疲れ様でした。