2014-07-30

不思議な体

 この4月に65歳の高齢者となった歳のせいか、どうも体調の変化が激しくて困っている。春先から両膝などが少し痛みだしていたが、毎朝のストレッチや散歩などもこなしていたのでさほど心配していなかった。それが6月になった頃から痛みが激しくなって歩行が遅くなり、特に階段では手すりにつかまり、1段ずつ上下するようになった。正座もできず、布団から起きるときも一苦労である。
 やむなく整形外科を訪ねて、膝や腰の間接のレントゲン写真を撮ったが、「部品は正常」とのこと。湿布薬と痛み止めが出た。次は整形内科に行き、血液検査やMRIの検査を受けたが、心配していたリューマチなどの疑いはなかった。さらに別の角度からと、今度は大学の付属病院にある血液内科を紹介され、1カ月ほどいくつもの検査をしたがどれも問題なし。
 平行して受診したのは、食事療法で有名な都内にある御茶ノ水クリニック。血液の汚れが間接部に影響しているとのことで、玄米雑穀と野菜を食事とし、胚芽や葉緑素などの健康食品と、何種類もの薬草茶を使うようになった。
 あわせてビワの葉温灸と温泉が良いとのことで、それらも取り入れた治療を進めている。もっとも温泉地まで出かけるのは毎日とはいかず、家の風呂に富山のヒスイ海岸から拾ってきた薬石を沈め、朝と夕に入っては汗をたくさん流している。
 こんなこともあってか63kgの体重が、何と8kgも減って骨皮筋衛門になってしまった。腰の肉がなくなったため、椅子に座わるとすぐに骨が痛くなる。
 食事療法するととにかく痩せるそうで、体重の減少は気にしなくても良いとのこと。また日によって下半身や上半身が痒くなるのは、好転反応の1つでもあるらしい。他に納得できる方法もないので、ぜひ今の食事療法を続けて1日も早く完治させたいものだ。無理な暮らしをしないようにと、貴重なシグナルをもらったと受け止めている。
 写真は、この5月末に帰還困難区域へ防護服で入ったとき。空間線量で毎時10μSVあった場所もあり、3・11で時間が止まっていた。震災は決して終わっていない。

2014-07-13

宮城県における食の復興本を出版

 この7月4日に、「宮城♡食の復興ーつくる 食べる ずっとつながるー」(生活文化社 定価1500円+税)を出版させてもらった。私の震災本としては5冊目である。なお4冊までは下記である。
 ①「悲しみを乗りこえて共に歩もうー協同の力で宮城の復興をー」(合同出版 2012年3月)
 ②「被災地につなげる笑顔―協同の力で岩手の復興をー」
                   (日本生協連出版部 2012年10月)
 ③「3・11忘れない、伝える、続ける、つなげるー協同の力で避難者
           の支援をー」 (日本生協連出版部 2013年3月)
 ④「福島の子ども保養―協同の力で被災した親子に笑顔をー」
                          (合同出版 2014年3月)
 震災直後から宮城県では「食のみやぎ復興ネットワーク」を設立し、みやぎ生協を中心にして235団体もが現在協力して、震災から食の復興をめざしていくつものプロジェクトを立ち上げて貴重な成果もあげている。その取り組みを現地で1年間取材し、この本に書かせてもらった。
 白菜プロジェクトでは、大正時代から品種改良をコツコツと進めている地元の採種場もあれば、菜種プロジェクトでは、ミツバチを使った蜜採りがあり、あまり知られていないミツバチと人間の共生でも多くを教えてもらった。
 この本は、「被災地宮城において、生協・農協・漁協はじめ食品の製造業や流通ベンダーなどが、多数のネットワークをつくり食の復興をすすめています。食と農を守る協同の輪を地域でさらに拡げるためにも、この本をぜひお読みください」との推薦文を、全中、全農、日本生協連の3会長からいただくことができ、本の帯に掲載させてもらった。
 日本の食を地域において協同で守るためにも、ぜひ多くの方に読んでもらいたい。
 


 

福島の子ども保養

 2014年3月に、「福島の子ども保養―協同の力で被災した親子に笑顔をー」(合同出版定価1400円+税)を出版させてもらった。震災本としては4冊目で、福島県生協連の取り組みを中心に、パルシステムなども取材させてもらった。
 まだ放射能の空間線量が高い福島県の浜通りや中通りに住む子どもや保護者は、過剰なストレスの中で暮らしており、少しでも安心して遊んだりできる場所でリフレッシュすることが大切である。各地の生協や市民団体などが協力し、多様な取り組みを展開している。
 ところで震災以前から、国連人権委員会が日本政府に対し、子どもが過度の競争下におかれており、極めて問題であるとの指摘を3回にもわってしている。しかし、政府が無視していることは、続くいじめや自殺などで残念ながら証明している。
 こうした中で福島の子ども保養を地域で支えることは、全国での子育てにも大きなヒントとなる。震災から4年目となった今日、福島の子ども保養を、各地の子育ての実践にぜひ引き付けて学んでほしいものだ。