2014-10-29

相川民蔵さんを偲んで

 長年親しくさせてもらった相川民蔵さんが、この10月9日に80歳で急死された。出先の水俣市にいたとき埼玉の家族からの電話連絡を受け、宿泊先のホテルから互いの知人へとメールした。葬儀の日は、福島への取材と重なってやむなく欠席して弔電ですませ、昨日になって所沢の家に線香をあげに行った。
 2000年にフィリピンのルソン島山岳地のアバタン村へ、小型の水力発電装置をNPOのカセッピで設置したとき、お祝いで訪ねたことも想い出の1つである。電気のなかった村で電灯が燈り、小学校に集まった大勢の村人たちと料理した豚などを食べ、地酒も飲んで喜び合った。相川さんにとってアバタン村は、かつての第二次世界大戦のとき軍属で逃げてきたお父さんの最後の地であり、またお母さんが亡くなってからは分骨した場所でもあった。相川さんはいずれ自分の骨も、その傍にぜひ埋めてほしいと言っていたが、こんなに早くその時期が来るとは思わなくて、私はただ笑って聞き流していた。
 9月27日に御嶽山が爆発したとき、夏場は近くの木曽に住んでいる相川さんの家にも灰が降っているのではと思い、久しぶりに電話した。すると木曽でなく、埼玉で入院しているとのことで驚いた。聞くと9月の下旬に仲間と北海道の山奥へ入り、40cm級のヤマメを釣って喜んだが、無理をしたので検査をしていると笑っていた。それからも電話で話したことはあるが、まさかこんなに早く他界するとは思わず、昨日遺影を見るまでは信じられないくらいであった。
 写真は、2011年1月にカセッピの仲間で集まった新年会での場面。お酒とタバコが大好きで、病気をしてからは会うたびにどちらかを止めたらと注意したが、どちらも止めることはなかった。
 まだまだやりたいことがいくつもあったはずである。さぞかし無念だったことだろう。ゆっくりお休みください。合唱

2014-10-27

NGOのJEN20周年に参加して

10月26日の午後から新木場駅近くの材木会館において、JEN(Japn Emergency NGO)の20周年があり参加した。2000年に「JEN 旧ユーゴと歩んだ2000日」(佼成出版社)を出させてもらい、それからの長い付き合いである。執筆は、当時の旬報社の柳沢明朗社長から、JENの代表であった「金八先生」などで有名な脚本家の小山内美恵子さんに紹介があり実現した。10日間ほど現地へ入り、まだ内戦の傷跡がいたる所に残る場での取材をさせてもらった想い出の深い本である。会場に飾ってあるコソボなどの写真を見つつ、当時を思い出した。
 当時、旧ユーゴで頑張っていた木山啓子さんが、今は事務局長として全体を管理している。
 式典は、第一部でJEN20年の歩みを木山さんが報告した。20年間で世界中の22の地域で1000万人に貢献したというから凄い。旧ユーゴだけでなく、パキスタン、スリランカ、インドネシア、ハイチ、ミャンマー、アフガニスタン、南スーダン、さらには新潟や石巻でも活動している。後で木山さんに、「ここまで活動を広げて凄いけど、マネジメントは大丈夫 ?」と聞くと、人材開発プロジェクトを完成させるなどし、以前に比べると力量を上げてきたとのこと。結婚をして子どもを育てているスタッフも増えたそうで、喜ぶべきことである。ただし、現状が精一杯ですとのことであった。
 第二部のシンポジウムでは、まず文化人類学者の竹村真一さんから、「触れる地球からみる紛争地と気候変動の関係」でデジタル地球儀を使いながらの面白い話があり、その後でパネルディスカッション「今、私たちにできること」が夕方まで続いた。地球規模での捉え方で参考になった。
 5時からの第三部は懇親会で、ビールやワインを片手に80名ほどが和やかに交流した。小山内美恵子さんも来ていて、マイクを握って挨拶をした。以前に比べるとゲッソリと痩せていたが、話し出すと前のままの熱い語りであった。舞台で軽音楽が演奏になると、杖で体を支えたまま踊っていた。今もカンボジアに学校を作る活動を続けているそうで、やはり凄い情熱を持った
女性である。いつまでもお元気で。

2014-10-13

水俣を訪ねて

 以前から一度は水俣市を訪ねたいと考えていた。ある友人が訪問して前向きに頑張っている生産者を訪ねると聞き、ちょうど日程も空いていたので同行させてもらった。10月10日の早朝便で羽田から福岡経由で水俣に入り、11日の最終便で帰ってくる強行軍であった。
 短い時間ではあったが、いろいろな方に会って現場を見させてもらいつつこだわりを聞かせてもらい勉強になった。
 ①水俣市環境モデル都市推進課
   水俣病の発生を止めた後で、汚染した海の一部を埋め立て、さらには環境教育などを 
  し、ハードとソフトの両面で取り組んでいることを聞かせてもらい、関連する資料をいくつも入
  手した。
 ②ちりめん作り
   地下水が海で湧いている美しい入り江を訪ね、漁師さんの杉本さんから話を聞いた。案  内してくれた小さな港には、のぞくといくつものウニが見えた。採ってきたちりめんを独自に  加工する工場も運営している。
 ③柑橘作り
   山の斜面は甘夏の産地でもあり、無農薬で他の柑橘類を含めて育てている。
 ④紅茶作り
   500mの山間部で天野さん親子が無農薬の「天の製茶園」を営んでおり、訪ねて話を
  聞いた。加工・販売までの六次産業だけでなく、さらには市内で専用の喫茶店も経営して提
  供しているから凄い。
 ⑤生協水光社を訪ね
   生協で水俣といえば水光社である。吉永理事長から歴史や生協くまもとになってからの動
  きなどを聞いた。
 ⑥モンヴェール農山
   (有)農山畜産が経営するレストランで、森林の中の40haという広大な敷地にあり、3
  00頭の養豚と、その豚肉の加工や販売も親子でしている。
 ⑦NPOばらん家(ち)
   休耕田を使い20人近い障害者が砂糖きびを栽培し、それを加工して販売している。そこ
  の松原理事長に、作業所でこだわりなどを聞かせてもらった。
 まだ終わっていない水俣病を、ぜひ最後の1人までしっかりと救済してほしい。と同時に、新しい水俣を再生させるための動きはいくつも出ており、そちらも応援したい。

2014-10-09

障害者が活躍する洗びんセンター

 断片的な話は何回か聞いていたが、障害者が活躍する洗びんセンターは20周年を迎え、東京の郊外にある昭島市に足を運んで話を聞いてきた。88人もの障害を持った人たちが中心となって、家庭で利用した再利用可能なビンを洗浄し、それをメーカーなどに戻して再び利用している。大きさ、形、色などの違いで80種類ほどあるビンの、まずキャップを外し、大きな洗浄機で洗ってきれいにし、1本ずつ点検して出荷する。環境に優しい大切な仕事を、障害者たちはもくもくとこなしていた。工賃と呼んでいる手取りは、人によって異なるが2013年の平均で月3万9000円というから凄い。一般の給与に比べると少ないが、共同作業所では1万円以下があたりまえであり、経営の工夫をしている結果だろう。
 20周年を記念した単行本『スタート ラインズ』(社会福祉法人きょうされん 萌文社 定価1111円)を読むと、障害を持った人たちがこの洗びんセンターで働くことによって、いかに楽しく成長してきたか良くわかる。7月の同式典では、構成詩「ゆめをかたちに」を発表しているから、文化面でも大きく羽ばたいている。
 運営しているきょうされんの本部を中野区に訪ね、リーダーの1人である藤井常務からも話を聞いた。20年前に東都生協と連携し、全国の仲間にも支援を受けつつ手探りで運営してきたが、協力すればここまでできると大きな自信になっている。ビン商品の減少する中で課題も多いが、環境資源の視点からもぜひこれからも発展してほしい。
 全盲の藤井さんから、著書『見えないけれど観えるもの』(やどかり出版 定価2000円)をいただき一読した。1990年から2000年初頭にかけ障害者問題について書いたもので、それぞれの本質をていねいに紹介している。三流の政治が進む日本において、いかに障害者問題がお粗末にされているか知り深く教えさせ
られた。
 この2冊の本は、ぜひ健常者にも読んでもらいたい。