2015-04-23

ガイアの夜明け 地域革命 南生協病院の取り組み

 4月21日のテレビ「ガイアの夜明け 地域革命 南生協病院の取り組み」を興味深く見た。毎月150名近くの生協組合員・医師・職員などが集まり議論する「1万人集会」の成果が、2010年に7階建ての病院となり、その後の同じ毎月の取り組みの「10万人集会」を受けて、今月に8階建ての「よってって横丁」が完成した。地域で暮らす組合員が、自分たちに必要な医療・介護のあり方やサービスを自由に出し合い、それを医療生協の場で具現化している。お金ではなく人と人がつながり、豊かな地域の暮らしを協同で創る一人ひとりの喜びが、南医療生協の原動力になっている。
 組合員は7万をこえる規模なので、いくつもある100万人前後の地域生協などに比べるとけっして大きな生協ではない。しかし、組合員を主体にしたまさに協同組合らしい取り組みが、こうして素晴らしい形になっていることは、日本もまだまだ良くなる可能性があるとワクワクする。番組では「地域革命」と表現しているが、けっして誇張ではなく、生協内部はもちろん協同組合外も含めて人間らしい地域や暮らしを創る大切なヒントがいくつもある。
 写真は、組合員の折った1000個以上もある花びらを集めた「生協桜」で、新設した横丁のロビーに飾ってあった。

2015-04-07

南医療生協の「よってって横丁」オープンまつり

 4月4日に名古屋の南大高駅前で、南医療生協「よってって横丁」オープンまつりがあり、招待を受けて竣工式に出席させてもらった。2011年に完成した7階建ての病院と、駅の間の広い敷地に、8階建てのりっぱなビルが完成していて驚いた。
 2011年の秋に出版させてもらった単行本『協同っていいかも』(合同出版)を仕上げるため、2年半ほどかけて毎月のように訪ねては、いつも1週間ほど滞在していろいろな方からの取材をさせてもらった。組合員がその地域に欲しい医療や介護の施設づくりに関わり、土地、建物、職員、利用者、資金まで主体的に集め、その間にいくつものドラマがあり、いつもワクワクしつつ訪ねたものだ。
 式典の会場では、何人もの懐かしい方に会って挨拶することができた。2時からの式典の後で、横丁の案内をしてもらった。各フロアは、下記である。
 1階:在宅診療所、訪問看護ステーション、ヘルパーステーション、指定居宅介護支援事業
   所、デイケア、小規模多機能ホーム、自習室、レストラン、駐輪所
 2階:メンタルクリニック、えきまえ歯科、こころはり・きゅう院、広場、レストラン
 3~4階:在宅型有料老人ホーム
 5~8階:サービス付き高齢者住宅
 敷地面積2600㎡、延べ床面積8691㎡もある巨大な建物である。毎月の「10万人集会」を3年近く積み上げ、「南医療生協の地域包括ケアの先取りが生み出した」が横丁のキャッチコピーである。施設を見学すると、廊下に作品を掲示するフックとレールの設置、無料の子ども向け自習室、地元の杉板の使用など、組合員の声の反映を観ることができた。歯科は予防に力点を置き、食事や暮らしとの関連からアドバイスするというから凄い。
 書かせてもらった本関連の嬉しい話も聞くことができた。4月21日にこの横丁などについて、テレビ「ガイアの夜明け」で放映する予定で撮影している。ところがなぜこんな凄いことが実現できたのかディレクターは理解できずに困っていたところ、「協同っていいかも」を読んで納得したとのこと。また韓国から来る視察団は、必ず翻訳本を詳しく読んでくるので、鋭い質問をいつも受けるとのことであった。そうしたこともあり、「ぜひ第二弾の本を創りたい」とのことであったので、ぜひよろしくと返答しておいた。1年後あたりがまた楽しみである。
 夜は式に参加した富山医療生協や新潟医療生協などの方たちと一緒に、南医療生協の幹部の皆さんと楽しく懇親をさせてもらった。純米大吟醸のこれまでになく美味しいお酒が五臓六腑にしみわたり、思い出の1ページとなった。

2015-04-02

仮設住宅で三味線の演奏

 埼玉県坂戸市に住む今野強・和子夫妻が中心の、「つながって生きてこな! 愛とヒューマンのコンサート」として、3月31日から4月2日まで福島の仮設住宅などで、津軽三味線の五錦雄吾さん(33歳)の演奏があり、31日に同行させてもらった。
 30日の夕方に今野宅をおじゃまし、五錦さんを含めて4人で食事しつつ話を聞かせてもらった。今野さんの取り組みは、坂本弁護士の救援、阪神・淡路大震災、中越地震、東日本大震災と多彩で、資料だけでも膨大にあり、次々と映像も見せてくれるが、あまりにも数が多くてメモをすることもできない。五錦さんは途中で寝たが、深夜の1時近くまで今野夫妻とお酒を交わしつつ楽しく話を聞かせてもらった。
 5時に起きると、すでに奥さんは8個の弁当の準備をしていたので、その箱詰めを手伝う。慌ただしく6時に出て、カメラのグループ4人を含め8人を乗せたバンで北を目指した。途中のサービスエリアで朝食をすませ、10時半には目的の福島市笹谷仮設住宅の集会所へ到着した。それまでずっと、膝を悪くしている今野さんの運転である。替わってあげたいが、私はペーパードライバーで、高速道路は走ったことがない。
 11時から集会所で演奏があり、じょんがら節に続いて、斎太郎節や会津磐梯山などでは、2週間前に会った大和田さんがマイクを持って立ち、歌詞の紙を手にしてみんなと一緒に楽しく歌った。粋な都々逸もあれば、最後に津軽三味線の聞かせどころでもある曲挽きとなり、ビンビンとまさしく叩くとの表現がぴったりの音が集会場にあふれた。
 次は福島医療生協の組合員センター開所式で、市の南に位置する蓬莱町へ。昨年の取材で会った人も複数いて、お互いに驚いた。50人ほどが、熱心に聞いていた。
 4時半からは市内の矢野目仮設所での演奏となった。集まった40人ほどの中には、陽気な方も多く、三味線に合わせて歌や踊りとそれは賑やかな場となった。
 演奏を終え、飯館村の保養施設がある飯坂温泉へ。温泉で疲れを癒やした後は、飯舘の3人を含めて食事をしつつ懇談した。借り上げのアパートで暮らしている女性は、娘や孫が神奈川にいるとのこと。これまでの「愛とヒューマンのコンサート」を何回も聞き、それでどうにか前向きになれたという。
 懇親の場に最後まで残ったのは、飯舘の2人と私の3人。1升ビンの日本酒が空になり、焼酎やワインも飲んだ。
 翌朝にまた温泉へ入り、昨晩のアルコール分を抜いてから、一行と分かれて飯坂温泉駅へと向かった。ずっと同行したかったが、1日は11時から埼玉でどうしても外せない用事があり、新幹線で向かった。
 ボランティアで協力する演奏家、企画する今野夫妻、そして被災地で受け入れをしてくれる人たちとの協同である。ぜひ今後とも同行させてもらい、音楽を通した復興のドラマを追いかけたい。