2015-05-27

岩手での「愛とヒューマンのコンサート」

 2015年5月20日から22日にかけて、岩手県の被災地である大槌 山田 宮古の10カ所で、松本克巳さんのヴァイオリン金沢恵理子さんのピアノによる愛とヒューマンのコンサート」が開催となり同行させてもらった。松本さんは日本フィルハーモニー交響楽団でヴァイオリニストとして金沢さんはピアノリサイタルシリーズ <未来へのレクイエム>を各地で演奏し、それぞれ国内外で高く評価されている。
 20日の10時過ぎに東北新幹線新花巻駅で今野強・和子夫妻の車へ全員が乗り、新緑の山間をぬって一路東へ向かい、釜石を経由して最初の訪問先である大槌町「ベルガディア鯨山(くじらやま) 風の電話」へ。人口1万5276人の大槌町は、町長を含め1240人が津波の犠牲となり、人口対比では県下で一番死者の多い町である。太平洋を望む2000坪の山の斜面を整地し、佐々木格夫妻がいくつもの草花を育て、被災者の憩いの場にもなり、その中の1つが亡くなった方との会話もできる「風の電話」である。2からその白い電話ボックスで黒のスーツの松本さんの演奏による「アメイジング・グレイス」にはじまり、木造の小さな「森の図書館」では花柄のワンピースによる金沢さんの電子ピアノも加わって、エルガーの「愛のあいさつ」からドヴォルザークの「ユーモレスク」まで5曲の演奏があった。静かな優しい音色は、10人ほどの来園者だけでなく、ガーデンの花や小鳥たちにも届いていた。

 次は126戸ある吉里吉里(きりきり)仮設団地集会所で、4から1時間かけてクライスラーの「愛の悲しみ」や「愛の喜び」もあれば、28歳で亡くなった貴志康一の優雅な「竹取物語」や雄々しい「水夫の唄」があり、また日本民謡で大漁唄いこみ歌として有名な力強い「斎太郎節(さいたらぶし)」もあって、集まった高齢の女性10人が喜んでいた。
 三カ所目は、7時半から三陸花ホテルはまぎくの広いロビーであった。はまぎくの花言葉は、逆境に立ち向かうであり、震災から復興しつつある当ホテルにふさわしい名前である。
 窓ガラスを通して太平洋をバックに松本さんは立ち、グランドピアノの前に座ったグリーンのドレスの金沢さんと、「愛のあいさつ」や「タイスの瞑想曲」など10曲を熱演した。アンコールに応えた陽気な「チャルダッシュ」では、ドイツ人3人を含む20人ほどの手拍子もあった。
 遅い夕食には、佐々木夫妻の他に大槌でのコーディネート役の臺(だい)隆明さんも加わり、差し入れのワインと海の幸で交流した。大槌を復興させるため臺さんは、住民の力で夢の音楽ホールを地元に造るプロジェクトを立ち上げ、文化による町づくりを進めているから凄い。
 21日はホテルをを9時前に出発し、国道45号線を北上して30分ほどで山田町へ入った。人口1万8617人の山田町では、津波で753人が犠牲になった。重茂(おもえ)半島と船越半島に囲まれた山田湾の奥にある街並みは、湾内で反響した津波が影響し、またプロパンに引火して火災が発生して被害が拡大した。防潮堤や盛り土の工事は進んでいるが、3年前に比べても住居などの再建はあまりされず、まだ復興にはかなりの時間がかかりそうであった。
 山田町の社会福祉協議会で運営する復興支えセンターに表敬訪問し、松本さんは「G線上のアリア」などを演奏した。
 10時半に訪ねた170世帯の山田町民グランド仮設住宅にある談話室は、昨年の10月にも演奏し、今野さんが撮影した前回の映像を演奏前に流して盛り上がった。毎月被災者の60人ほどが近くの体育館でカラオケ大会を楽しむなど交流が盛んで、「斎太郎節」などは手拍子の他に歌まで出ていた。 
 道の駅で昼食用の弁当などを買い、次の43世帯があるタブの木荘談話室へ早めに入って食事をしていたときである。年配の女性が目頭を押さえつつ入ってくると、案内してくれた女性の町議の前に座り込んだ。生活保護を受けているが、町役場の職員から通帳に10万円をこえる金額があり、これは問題だと脅されている様子を涙声で話していた。「必要な生活費を払って金額を10万円以下にして、職員に見せれば大丈夫だから」との町議の声に、女性は安心した様子であった。1時からの演奏を他の10人ほどと一緒に聞き、後の記念写真ではすっかり笑顔になっていたのでホッとした。   
 3半からは、宮古市に入り愛宕公園仮設住宅集会所で、13人が演奏を聞いていた。   半からは、いわて生協のマリンコープドラ一階復興商店でのミニコンサートで、買い物客など20人ほどが椅子に座り、「愛のあいさつ」から「タイスの瞑想曲」まで10曲を楽しんだ。   3年前に宮古市を舞台に復興支援の本を書いたときには、何回も訪ねた店で懐かしかった。夕食用の刺身などと一緒に、大槌で被災して現在は盛岡の蔵を借りて作っている赤武酒造の1升ビン浜娘も買い、宿泊先の千徳ボランティアセンターで美味しくみんなと飲んだ。純米酒だが吟醸酒に近い端麗な上品さがあり、復興支援しつつ愛飲できる。
 22日はセンター9時に出て、宮古市磯鶏(そけい)仮設団地集会所へ行き、10時から11人が演奏を楽しんだ。12時からはシートピアなあど(道の駅みやこ)で約40人が演奏に耳を傾け、昼食をした後でせっかくなので近くの浄土ヶ浜を案内し、演奏会としては最後になる宮古市鍬ヶ崎学童の家を3半に訪ねた。現地案内中村國雄さんの職場で、子ども16人と近くの仮設住宅などから大人10人も参加した。ここでは子ども中心に、「星に願いを」やショパンの「子犬のワルツ」もあれば、どの子も大好きな「散歩」もあった。そして最後は、みんなで歌う「BELIEVE(ビリーブ)」である。演奏後に女性の館長さんは、「子どもの必要最小限の世話をするのがスタッフは一杯で、文化面などのゆとりある支援は、『愛とヒューマンのコンサート』のようなボランティアが来てくれて本当に助かっています」と声を詰まらせてお礼を言っていた。  
 座っている被災者や子どもの前では、膝を折って同じ目線でヴァイオリンを優しく弾く松本さん。恵理子がエリーゼに似ているとして、「エリーゼのために」をそよ風のように奏でるかと思えば、「斎太郎節」になると腕まくりをして飛び上がって鍵盤を連打する金沢さん。私も音を楽しみ、3日間で10カ所でのミニコンサートと忙しくはあったが、音楽を通して人と人の心が通じることを、今回のコンサートでも実感することができた。
 なお22日に一行と分かれた私は、宮古にもう1泊し、「かけあしの会」の皆さんと会ったり、3年ぶりの田老を訪ねるなどした。


2015-05-13

ネパール地震報告と音楽の集い

 季節外れの台風6号が北上している12日の夕方6時から、渋谷のコーププラザにおいてネパール地震報告と音楽の集いを支援の仲間と開催し、何と53人もが集まってくれたので感謝感謝。
 前日にスリランカから帰国し、まだ疲れが十分に取れてはなかったし、12日の朝から3時まで出版社で、この6月に出版する復興支援本の第6冊目となる原稿の最終校正の念校をして、だいぶ頭が疲れていた。それでも昨年ネパールでもらった帽子をかぶり、気分を新たにして集いに臨んだ。
 5分遅れでスタートし、冒頭の10分の開会あいさつでネパール子ども基金代表の私は、子ども支援の経過や今回の集いの趣旨を話し、支援に関わる意義について以下の3点を触れた。
 ①貧困や震災などで困っている人に対して、できる範囲で手助けすることは、人間としても当然の行為である。
 ②ただし、それだけでなく、支援する相手から逆に学ぶことはいくつもある。金や物のないネパールでは、子どもが本や食べ物などをそれは大切に扱い、元気で前向きに暮らしており、物事や生きる原点を確認させてくれる。苦しい生活だからいろいろな助け合いがあり、協同組合の原点を観ることもできる。
 ③さらには、同じ志をもった仲間と知り合うことができ、お金ではなく素敵な友人との人(ひと)財産を楽しく作ることができる。
 ネパールの地震報告では、帰国したばかりの小澤重久さんと、民族楽器サーランギ(ヴァイオリンのような楽器)演奏者のネパリさんから、パワーポイントの映像50枚を使った生々しい説明があった。テントで寝ている子どもたちや、昨年訪ねたカトマンズの古い家屋が粉々になっているなどして胸が痛んだ。
 その後30分で6曲の素敵な演奏があり、ネパール音楽を堪能することができた。
 7時40分から希望者による会費制の懇親会をし、ここにも40人が参加してくれて楽しい一時をもつことができた。

2015-05-11

スリランカを訪ねて

 5月4日から10日までスリランカを訪ね、本日11日の午後帰国した。5月のスリランカは、仏教の国らしくお釈迦様を祝う花祭りが満月前後にあり、どこの寺院も飾りや出し物などで賑やかであった。
 今年は利子が4%と昨年の半分と大幅に減って、200万円のファンドの利子は8万8000ルピーしかなく、各校長のリクエストに応えて2つの小学校へ本と、1つの学校には楽器ハルモニウムを寄贈してきた。
 500人ほどの公立の学校でも、図書館に入れる本の予算がまったくない。このため本棚に入っている少ない本は、先生たちが持ち寄ったりした古い本などである。大きな段ボール1箱ほどの本を、全校生が校庭に集まって受け取ってくれた。
 楽器も学校にとっては大切な教材だが、これも予算がなくて紙に書いた鍵盤で授業をしている。楽器の寄贈式では、さっそく音楽の先生が演奏し、男性の校長が仏教讃歌をゆっくり歌ってくれた。「我が校の宝物にします」との校長の挨拶が印象的だった。
 昨年持参した中古のピアニカ10本を寄贈した学校では、それらを使った歓迎会をしてくれた。学校だけでなく村のお祭りなどでも、子どもたちは元気に演奏しているという。
 日本では本や楽器などいくらでもあるのでその素晴らしさの認識は薄いが、そうした物がないスリランカの貧しい小学校では、宝物として大切に扱っている。本や音楽の原点を再認識させてもらうことができる。
 学校訪問以外の時間は、スケッチブックを持って近くの民家や寺院を散策し、好きな椰子の木を中心に描いたりした。知人の民家での宿泊でもちろんエアコンもなく、今回も蚊にだいぶ喰われてしまったが、いつものようにキングココナツに地酒のアラックを入れて美味しく飲み、異文化の中でしばし
のんびりすることができた。

2015-05-01

被災地での「愛とヒューマンのコンサート」

 4月27日早朝から30日の夜にかけ、福島と宮城での14カ所において被災者に少しでも元気になってもらう「愛とヒューマンのコンサート」があり同行させてもらった。
 「広い河の岸辺」の訳者として話題の人にもなっているケーナの八木倫明(やぎりん)さんとアルパの高橋咲子さん、それにソプラノ歌手の大前恵子さんを中心に、企画者の今野強夫妻、運転の近藤裕隆さん、それに川越市の市民団体「自立の家」から桑野夫妻を中心に4名、カメラ担当、それに私の総勢12名が3台の車に分乗し、楽器や支援物資などを乗せて忙しく移動した。
 27日は、10時30分から福島市で飯館中学の音楽室を皮切りにし、蓬莱学習センターや飯坂温泉ケアセンターでは福島医療生協主催、28日は石巻へ入り、貞山小学校、3つの仮設住宅の集会所、29日は気仙沼へ入り、幼稚園もある教会、復興住宅のコミュニティセンター、2つの仮設住宅、30日は再び石巻へ入り、介護施設、仮設住宅、日赤病院において「コーヒールンバ」や「コンドルは飛んでいく」などの他に、「浜辺の歌」や「芭蕉布」もあれば、皆で歌う「広い河の岸辺」や「斉太郎節」など、それぞれ1時間ほど演奏や歌の楽しいプレゼントがあった。
 強行軍で会場では看板や椅子などのセットをし、コンサートが終わると片付けて次の会場へ急ぐ繰り返しであった。それでも曲に合わせて体を静かにゆらし、目頭を押さえる女性もいれば、斉太郎節に合わせて車椅子で両手を上げて踊る高齢者もいて、音楽の力を再確認することができた。
 また石巻市の雄勝では、古い木造の旅館だが生きたウニを7個も冷酒と一緒にいただき、お礼に生臭坊主として大きな仏壇に読経させてもらった。また気仙沼では泊めてもらった支援者のお宅から、水墨画のような入り江の対岸にある大島からの日の出を、何羽ものウグイスの鳴き声を聞きつつしばし
眺めることができた。29日は66歳の誕生日でもあり、これまでにないプレゼントとなった。