2015-07-01

ジャーナリスト高杉晋吾さんに会って

 6月30日の昼過ぎに、電車を乗り継いで池袋線の入間駅へ向かった。社会派のジャーナリストである高杉晋吾さんに会って、ルポの方法などについて聞くためである。約束の15分前に改札口に出ると、すでに82歳の高杉さんが立っていて恐縮した。5分ほど歩いて集合住宅のお宅へ向かう。
 高杉さんの『袴田事件・冤罪の構造』(合同出版)を読んで、その取材の丁寧さに驚いた。いかにでたらめな「証拠」によって袴田さんが死刑囚にされたのか解きほぐし、事実でもって再審無罪へと読者を案内してくれる。他にも古書店で入手できる6冊をインターネットで購入し読んだ。教育、水力ダム、廃棄物、障害者問題など、多面的なテーマで出版し、そでに60冊ほど出しているから凄い。それも年によると2冊だけでなく3冊も出している。小説やエッセイであればわかるが、「足で書く」とも言われるルポルタージュにおいて、年に3冊も仕上げるとなるとかなりのスピードと体力が必要である。
 5月に「愛とヒューマンのコンサート」でカメラ担当として高杉さんの奥さんは同行して面識があり、電話して今回の面会をお願いした。
 キッチンのテーブルに座ると、「何もありませんが」と言いつつビールとつまみを出してくれ、乾杯してから親しく質問に答えてくれた。
 「高杉さんの原点は?」に対して、11歳のとき満州の自宅庭の防空壕でアメリカ空軍の直撃弾を受け、母と姉など6人が即死し、高杉さんは母の下で奇跡的に助かったことと話してくれた。後で近所の人から、姉は首が飛び、内臓が破裂して腸が枕木にかかっていたと聞かされたそうだ。大学時代に社会の仕組みについて学び、母や姉の殺された戦争の背景などを考え、社会にある差別をえぐり出すことに情熱をかたむけるようになった。私の父親が自分で片目をつぶして傷痍軍人として帰国したことが、私の1つの原点になっていると話すと、「よく分かりますよ」とうなずいていた。
 取材は全てテープに録音し、それを後でコツコツと文字にしているとのこと。テープおこしは、話した時間の数倍かかる。そんなに時間をかけるのは大変なので、私は大学ノートに要点をメモするようにしているが、忘れてしまうこともあって困ることがある。高杉さんの本には、細かい会話がよく出てくるが、全て会話を記録しているからできることである。6畳ほどの書斎を見せてもらうと、一面の本棚にはテーマ別にA4版の紙製ファイルがずらりと並び、関連する資料などをきちんと綴じ几帳面さがよくわかった。
 テーブルの上にビールの空き缶が6本並び、今度は焼酎を出してくれた。
 「ミクロを積み上げていけば、やがてマクロになります。私も歳をとってきたので、これまでの総仕上げとして個別のテーマを横串にした本を書くつもりです」とのことであった。もちろんルポではないが、ぜひ読みたいものである。
 奥さんは数日前に転倒して骨折し入院していたので、2人で駅前のそば屋へ入って夕食をとり、ビールで2人の健康と次の作品に向け乾杯した。楽しく有意義な時間だった。

0 件のコメント:

コメントを投稿