2015-09-12

「愛とヒューマンのコンサート」 新潟県名立編

 9月6日から10日まで、「愛とヒューマンのコンサート」坂本弁護士慰霊ツアーがあり同行させてもらった。今回はこれまでの東北でなく、20年前に3人が埋められていた発見場所の新潟・富山・長野を巡る旅であった。
 埼玉を6日早朝に出発した車2台に分乗し、まず向かったのは当時33歳の坂本堤さんが埋められていた名立の山奥であった。あいにくの雨で予定した親友の松本克巳さんいよるヴァイオリンの演奏はできなかったが、ソプラノの声楽者大前恵子さんの「アベ・マリア」が辺りに流れ、私も目頭を押さえた。毎年地元仏教界の僧侶10人による読経が今年もあり、地元の方も手を合わせていた。1000m近い山の上で、1年の半分が雪で埋もれている。そのため20年前の遺体を見た方の話では、埋められて5年10か月たっていたが、髪の毛などはきちんと生えたままの姿だったとのことである。写真は堤さんが埋められていた場所で、石造のメモリアル碑は、10mほど手前の林道脇に設置してある。
 地元のお寺に泊めさせてもらい、手料理の御馳走や美味しい地酒を飲みつつ、20年間も坂本弁護士のメモリアルを守ってくれている話などを、住職夫妻から聴かせてもらった。
 「使命感で私たちはしているのでなく、「名立にわざわざ来てくれた方が、また来たいな」と思ってくれれば充分ですよ」
 明るい奥さんの話が印象的だった。
 名立機雷爆破事件をはじめて知った。1949年だから、戦争から4年たち私の産まれた年の3月30日のことである。名立漁港に流れついた国籍不明の機雷が爆発し、子ども40人を含む63人が即死している。戦争中は日本全国の海岸や海峡に、日本、アメリカ、ソ連の機雷10万個が敷設されていた。その1つが名立で惨事を起こした。当時の岩のある海岸はコンクリート製の漁港として整備され、爆発の場所は小さな祠が建ちお地蔵様を祭っている。
 機雷の破片などは全てGHQが回収したので国籍は今も不明のままで、被害者は泣き寝入りである。最高の国策である戦争の犠牲者を、ここでも見ることができたし、それを住職夫妻は風化させず、地元で劇団を組織し、シナリオも自分たちで創って演じているし、コーラスのグループもあって、7日には上越市民会館で200人以上が集まり、「愛とヒューマンのコンサート」と一緒に美しい歌声を聞かせてもらった。素敵な人たちの集まった
地域である。

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