2016-08-25

気になる放射能汚染 8月下旬飯舘村訪問記

 8月17日からまた福島へ入った。上野から福島駅まで新幹線で走り、バスで飯野町を訪ねた。18日は、飯舘村から福島市へ避難して経営しているコーヒー店の亜久里(あぐり)を訪ね、店長から話をうかがった。夫婦で本も出しているから凄い。
 19日には飯舘村にある細川牧場を訪ね、8日に倒れて緊急入院した奥さんのお見舞いをした。2日前に退院して元気そうでホッとした。近くの石臼地域を散策していると、美しいアザミの花が咲いていて足を止めた。その中で他と異なり、花が群がって咲いている1本があった。そして蜜を吸っているミツバチの羽根が、見慣れたものといくらか違うので気になった。奇形のタンポポやバッタなどの存在は聞いていたが、その類なのだろうか。
 

 震災以降に細川牧場で次々と馬が死んでおり、そのことと何か関連があるのだろうか。ちなみに近くのモニタリングは、毎時0.43マイクロ・シーベルトを示し、年間にすると約4ミリ・シーベルトとなり、国際的な安全の目安である1ミリ・シーベルトの4倍である。
 実は私自身の体調でも気になることが残念ながら発生した。健康診断で何も問題なかった私だが、16日に診療所で心電図をとると不整脈が見つかり、昨日は総合病院で心臓のエコー検査と24時間のホルダー検査を実施した。加齢やお酒の飲み過ぎであればいいのだが、ベラルーシにて病理解剖の専門家バンダジェフスキー氏の指摘によれば、チェルノブイリの原発事故で放出したセシウム137は、特に心臓の筋肉に付着しやすく、心筋障害や不整脈など心臓疾患がおきやすいとのことである。その現実は、ドキュメント映画「チェルノブイリ・ハート(心臓病症候群)」に詳しい。同じ放射能は、飯舘村にも大量にあるし、私の住んでいるホットスポットの取手市にも多い。31日の検査の結果は、どうなるのだろうか。放射能汚染と100%関連があるとは言えないだろうが、100%無関係と誰も言えないのではないだろうか。検査結果がどうであれ飯舘村の取材は今後も続け、復興支援本の8冊目を必ず仕上げる。



2016-08-14

月命日に石巻での「愛とヒューマンのコンサート」

 8月11日の早朝に、上野駅からの東北新幹線で仙台に向かう。お盆休みで自由席の混雑を予想していたが、空き席がいくつもあり拍子抜けした。おかげで席に座り、いつものようにビールを飲みつつノートパソコンで原稿書き。
 1年ぶりとなるなつかしい石巻駅で降り、荷物をホテルに預けてコンサート会場のアイトピアホールへ入る。途中で津波を被ったピアノを再生して話題になった楽器店のサルコヤを訪ね、ご主人と立ち話をした。塩水に浸かったグランドピアノ約1万点の部品をリニアルし、見事に再生している。それもすでに6台目となっているから驚く。
 会場ではベッセラさんとアルパの池山由香さんが熱演してくれ、約80人が楽しんだ。ベッセラさんは楽譜で指先を切るというアクシデントがあったが、すぐにバンドエイドで止血し普通にいつものように連打したから凄い。私は休憩前に本の紹介をさせてもらい、生の音楽の素晴らしさを強調させてもらった。会場には大川小学校で2人の子どもを亡くし、その紹介を先の本でも触れさせてもらったお母さんが来ていて挨拶をさせてもらった。まだ妹さんの遺体は戻ってきていない。彼女は「今日は2人と聴きに来ました」と言って、手帳の表裏にある2人の笑顔の写真を見せてくれた。思わず私は涙があふれ、おじぎをするのが精一杯であった。
 教員の判断ミスで尊い74人もの子どもの命を亡くした大川小学校の裁判では、この秋に判決が出るとのこと。経過や責任をぜひ明らかにし、他の学校や原発事故など日本にはびこる集団無責任体質に、少しでも風穴を開け二度と同じ悲劇を繰り返さないでほしい。
コンサート会場

サルコヤさんの再生ピアノ1号(クミコさん所有)を弾くベッセラさん



2016-08-09

「愛とヒューマンのコンサート」3

 5日の夜に白河文化ホールでのコンサートを終え、実行委員の方たちと遅い夕食をとった後で、午後10時20分頃に車で埼玉の坂戸への帰路につく。目的地まで180kmある東北道を、車は120kmから30kmの猛スピードで飛ばすので、助手席に座っていると怖いくらいであった。
 0時に無事今野宅に着き、シャワーを順に浴びて寝たのが1時過ぎであった。
 6日は大宮市北区プラザで午後2時からのコンサート。10時には出発し、会場に11時に入って準備である。
 移動だけでも大変だが、パリから来日しているピアニストのベッセラさんのプロとしてのこだわりや強さには驚くばかりであった。白河や大宮では本格的なグランドピアノがあり、それぞれ2時間ほど指ならしで本番の前に練習している。同じピアノではないかと素人は考えるが、指の感触をそれぞれのピアノに慣らすためにはこれだけの時間がいるとのことであった。
 細い腕のどこにそんなパワーがあるのかと思うほど、トルコ行進曲や才太郎節などを力強く連打する。そんな50歳のベッセラさんのある日の朝食は西瓜、昼はドレッシングなしの野菜サラダ、夜は刺身とコンニャクで、アルコールはワイン1杯といった内容で、パンや御飯や肉などはいっさい口にしない。よくこれで体力が続くと驚くが、本人に言わせると「サンサンと輝く太陽が私のエネルギー源」と、炎天下で両手を拡げたりする。
 8月2日に来日し22日に帰国するまで、演奏会のないのは3日だけである。
 「支援のためピアノを弾きに日本へ来たのであって、遊びに来たのではない」と、観光などにはまったく興味がない。世界的に有名なオペラ座のピアニストは、やはり凄い。
 この3月の書き上げた復興支援本の7冊目である『愛とヒューマンのコンサート』には、表紙にベッセラさんの娘さんたちを載せ、カラーのグラビアにはベッセラさんの2年前の演奏風景の写真を使わせてもらっている。サインして寄贈させてもらうと大変喜んでくれ、演奏後に写真を撮らさせてもらった。

2016-08-07

「愛とヒューマンのコンサート」2

 5日は南相馬でのコンサートを終えて昼食をとり、次は白河市にある文化ホールへと車で向かう。いくつかのルートはあるが、一番早く到着できるとのことで高速常磐道を使った。途中の何か所かに、放射線空間量を測定して表示しているモニタリング・ポストが置いてある。当初は0.1から0.2ほどであまり気に掛けなかったが、浪江あたりで急に4.10の数値になり驚いた。年間にすれば×24×365で35.9ミリ・シーベルトにもなり、チェルノブイりであれば強制退去の危険地域である。常磐道より海側を走る国道6号は、ここよりもっと放射線量が高く危険であるが、そちらも今は規制が解除されて通行は自由である。人々の安全よりも経済性を優先した政治の結果である。健康を考えると通行させてはいけない高速道である。
 7時からの白河では、地元の年金者組合の実行委員会が企画し、250人ほどが集まってくれ、松本さんとベッセラさんの音楽を楽しんだ。
 休憩の前に少し時間をもらい、「愛とヒューマンのコンサート」の本の宣伝を私は簡単にさせてもらった。コンサートは演奏家だけの力でなく、企画者や実行委員や聴衆の協力で成立ち、また一人ひとりの音楽文化へのこだわりをドラマとして本にしていることや、音楽が右脳を刺激して左脳とのバランスをとり、さらには生の音楽で人の耳に感知しない低周波や高周波の音波を、全身の37兆個の細胞レベルで受けて共振し、ほっこりした表情になることも触れた。
 おかげで30冊ほど買ってもらい、忙しくサインもさせてもらった。

「愛とヒューマンのコンサート」で福島へ 1

 8月4日の朝に東北新幹線へ乗り昼前に福島駅で降りて、演奏するベッセラさんや松本さんや今野夫妻たちと合流して食事をし、「愛とヒューマンのコンサート」の会場の大原病院に入る。音楽療法にも理解ある院長さんがセットしてくれた。フランスはパリオペラ座の名ピアニストであるベッセラさんは、ボランティアによる2年ぶりの来日である。
 夕方からは笹谷にある浪江の仮設住宅を訪ね、自治会長さんをはじめ顔なじみの人たちと再会し、演奏を聴いた後で楽しく交流をした。その晩は飯野町に移り、男女別に支援者宅で寝させてもらった。
 翌日は南相馬市の図書館での演奏で、飯舘村を通るときに細川牧場を訪問させてもらい、在宅していた奥さんと記念写真を撮らさせてもらった。まだまだ放射線量が高くてベッセラさんに、「黒いフレコンバックは何に見えますか?」と英語で聞くと、「あれは牧草を巻いているのでしょう」との返事だった。「普通はそう見るでしょうが、これは放射能廃棄物で、この小さな飯舘村に約200万個のあります」と伝えると、それはビックリしていた。
 南相馬では、障害者が中心のコンサート。保護者を含めて100人ほどが1時間の演奏を楽しみ、途中でピアノの周りをグルグル回る男のもいて素敵な場になった。