2016-09-07

神戸に野尻先生を訪ね

 京都での21総学の最終日に、早めに抜けて神戸へと私は向かった。生協総研の頃からお世話になっている野尻武敏さんに会うためである。今年92歳の野尻さんは、体調を悪くしてコープこうべの協同学苑の学苑長も退き、神戸市郊外で奥様と暮らしている。電話に出た奥様の話では、今年になってから耳が遠くなり、普通に会話ができなくなって困っているとのこと。電話での話も無理とのことで、野尻先生の紹介記事と手紙を書いて郵送させてもらった。
 1週間ほどして返信があり、いくつもの修正した原稿と同時に、近況に「こんな状況ですがよければおいでください」と添えてあった。すぐに修正し、新しい原稿と9月4日の昼に伺うと手紙を書いて出した。
 西神中央駅から徒歩15分ほどの、静かな住宅街に先生のお宅はあり、娘さんと奥様が出迎えてくれた。居間に案内され、いくらか腰のまがった先生と会った。奥様が、「良ければこれを使ってください」と持ってきたのは、底を抜いた紙コップであった。それでも使わずに、少し大きくゆっくりと話すと補聴器を付けた先生は普通に聞くことができ、安心して会話ができた。
 新潟県の名立機雷爆発事件に関連し、戦後の機雷処理を詳しく教えてもらった。アメリカ軍の新型機雷は、全て海底に落として磁気、音響、水圧に反応するもので、名立で岩に接触して爆発した古いタイプは、日本か中国か朝鮮のものではないかとのことであった。
 30分も話ができればと思っての訪問であったが、気が付くと3時間も過ぎていた。著書の『蝉しぐれ』にサインをお願いすると、「忠恕」と書いてくれた。恕は、孔子が一番大切にしていた思いやりである。
 これまでの長い人生の折々に短歌をよみ、それを集大成した本がこの10月に完成するから私にも送るとのこと。92歳とも思えない情熱には、ただただ驚く

 玄関先で記念写真を撮らしてもらい、握手して別れた。路地の角を曲がるまで、ずっと玄関の前に立って奥様や娘さんと手を振ってくれていた。私も何度も振り返り、お辞儀をしつつ大きく手を振った。路地をまがると、一気に涙が流れてきた。
 

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