2016-11-30

ふる里を追われた人たち2 11月の福島訪問記

 23日の午後は、昼食後に「愛とヒューマンのコンサート」の一行から分かれて、川俣町から松川駅に出て、そこからJRで二本松へと向かった。当地で開催となっている浪江町津島地区の「原発事故の完全賠償を求める会」を傍聴するためである。
 電車に乗ると、偶然にも同じ会場へ向かういわき市在住の広田弁護士が乗っていた。二本松までの15分ほどであったが、原発事故に関連する裁判の話などを聞かせてもらい、二本松駅からのタクシーに同乗させてもらった。
 すでに広い会場では、200人ほどの参加者が座って熱心に講演を聞いていた。休憩の後で総会となり、まずは共同代表の三瓶宝次町議が開会を宣言し、もう一人の共同代表である馬場績町議が挨拶をした。三瓶さんは自民党で、馬場さんは日本共産党である。運動の幅の広さ

を感じた。来賓の挨拶では、弁護団を代表して広田さんが檀上に立ち、被災者と共に自らの人生

に恥じないために闘うと話していた。
 
 川俣町の町議で山木屋原告団の団長でもある菅野清一さんからは、同じく東電と闘う仲間として

の連帯のエールがあった。
 
 309世帯もが共同で訴訟団を作り、原発事故による被害の完全賠償と奪われた地域共同体を

回復するための施策と地域の再生を求めている。

 飯舘村では3000人をこえる被災者が、同じように訴えて動いている。1日も早くこうした被災者

の切なる願いが実現してほしいものだ。
 

2016-11-28

ふる里を追われた人たち1 11月の福島訪問記

 11月22日から26日まで福島へ入った。22日の早朝に福島沖を震源とする強い地震があり、前泊した埼玉から車で出発する直前で動揺した。もしも3・11のような被害が出ているのであれば、福島へ入るわけにもいかない。また住んでいる取手市の町内会の防災会会長を私はしているので、もし避難準備情報でも出ているのであればすぐに帰宅しなくてはならない。幸いなのことに福島も取手も大きな被害はないとのことで、予定通り福島へ入った。ただし、車内のラジオからは、津波の発生や福島第二原発の冷却水装置が止まったとのニュースが流れて心配が続いた。
 22、3日は「愛とヒューマンのコンサート」で、三味線の五錦雄吾さんと今野夫妻たちと共に、初日は飯舘村国見台と伊達東や浪江町笹谷、二日目は旧飯野小、川俣のデイケア施設などをまわった。
 震災から丸5年と8カ月が過ぎ、仮設住宅を支援で訪れる人はかなり減っている。また小さな国見台や旧飯野小の仮設住宅では、そもそもこうした音楽による支援があまりなくて喜んでくれた。
三味線は、津軽じょんがら節やよされ節もあれば、斎太郎節や会津磐梯山や炭坑節もあった。30年も民謡を歌っている女性が、体全体を心地良く揺らしながら素敵なのどを披露してくれ、皆で手拍子もした。
 雄吾さんの得意な都々逸では、「松茸や 焼いて食おうか 煮て食べましょか 生じゃお腹がふくれます」もあって、女性を含め大きな笑い声があがった。
 ふる里を追われた人たちが、今も仮設住宅で助け合って暮らしている。
 

2016-11-12

集会「もう原発は要らない~被害者の声を聞いて~」に参加して

 11月12日の午後1時半から5時まで、千葉市にある千葉弁護士会館においてタイトルの集会があり参加した。同弁護士会の公害環境委員会が主催し、原発被害救済千葉弁護団と千葉県放射性廃棄物を考える住民連絡会が協力団体で、約100名が集まり中身の濃い集いであった。
 記念講演は、「原発のない社会の実現のために」と題して、いわき市から来た広田次男弁護士であった。闘う弁護士として有名な広田さんは、3・11に18時間半もかけて帰宅した経験から、余生は震災や原発事故にだけ対応し、いつの日か孫に「あのときどう対応したの?」と聞かれたときに、自らの生き方に後ろめたさがないようにしたいと強調していて同感であった。10日前にいわき市の事務所を訪ね、2時間ほど原発事故関連自殺の訴訟について、詳しい話を広田さんから聞かせてもらった。信念に生きる熱い人である。
 原発被害者集団訴訟の現状では、原発被害救済千葉弁護団や訴訟原告の方たちの貴重な報告があった。
 「小櫃(おびつ)川の水を守る会」の佐々木さんによる「君津の水が危ない」との報告によれば、30万人の利用する水源地に広大な産業廃棄物の埋め立て地を造り、何とそこに放射性物質を持ち込んでいるとのこと。
 また「行政と議会に目を向ける市民の会」の小林さんによる「千葉県の指定廃棄物状況」では、県内の10市に保管している放射性物質の管理はまちまちだし、不明な保管場所すらあるそうだ。国による隠ぺい政策がここにも反映している。
 これだけの被害を出しておきながら、いまだに東電や国は責任を認めていない。こんな無責任なことは、決して
許されるはずがないと私は思う。  写真は原告や弁護団の皆さん。