2016-12-01

ふる里を追われた人たち3 11月の福島訪問記

 23日の夜は、福島市内のある事務所に泊めさせてもらい、持参した折り畳み自転車で福島駅まで翌朝に出て、高速バスで南相馬市へと1時間40分かけて走った。途中で小雨が雪になり、飯舘村を通過するときは一面の銀世界になっていた。何回も訪ねた細川牧場や交流センターなどを、車窓からながめた。
 昼前に終点の原町駅前に着き、昼食をとった後で近くのアパートに暮らす飯舘村の被災者を訪ねた。震災直後に、村外への避難をするのは家族への負担がかかると悩み、102歳で自死された方のご遺族である。102歳まで長生きされて、それでも最期は自死せざるを得なかった悔しいお気持ちを想像すると、とてもいたたまれなくなる。自死された方の長男は、病気で震災の後に亡くなり、その嫁さんが遺族の代表となっている。
 「お爺さんと夫が今も私を見守ってくれています」
 亡くなった方と一緒に前を向いて歩いている凛とした姿が印象的であった。
 夕方には雨もあがり、折り畳み自転車でホテルに入った。途中で小さなスーパーにて夕食やつまみの品を購入した。安いホテルは、除染などの作業員らしき人がたくさんいた。予約のホテル案内にはインターネット可能とあったが、故障していて使えなかった。
 快晴になった25日は、近くの道の駅でまずインターネットを使用し、近くの古本屋で原発関連の本を3冊購入。その後、駅前の市立図書館へ行き、地元の被害状況や歴史などを調べた。震災コーナーにはたくさんの本が並び、私の「愛とヒューマンのコンサート」など4冊もあって嬉しかった。
 自転車を走らせて陸軍の飛行場跡を目指した。海軍の特攻隊は有名だが、ここは陸軍の特攻基地で20歳過ぎの若者が沖縄方面で散華している。地図を持っていたが記念碑が分からず、次の目的地の岩屋(がんおく)寺へと向かった。
 被災者に寄り添って故人だけでなくペットの供養もしている曹洞宗のお寺である。予約した2時に若い住職に会い、まず寺を案内してもらった。驚いたのは裏山に登ったときである。何と1500年前の前方後円墳であり、小さな横穴がいくつもある。1200年前に、ここに天台宗の律院ができ、さらにその山頂に600年前の相馬11代の菩提が埋葬されている。つまりこの地は、1500年まえの弥生時代からの歴史が綿々と流れている。
 震災後に「お墓へひなんします」との遺書を残して自死された93歳の女性は、ここの檀家である。住職にお願いしてご遺族の家を訪ねたが、残念ながら不在で会えなかった。
 前住職もおられて詳しく話してくれた。すでに檀家が1000家をこえ、さらに年に数十家も増えている。その理由を聞くと、訪問者には分け隔てなくお茶を出すこと。また現存する宮大工の最高の技術と木材を使い、30年かけて本堂を、その後10年かけ山門を新築したのは、一度しかない人生で自らが納得できるものを仕上げたかったとの言葉にはただ恐れ入った。こうした凄い人が必ずいるものだ。
 美味しい精進料理をいただき、寺を出たのは7時過ぎであたりは真っ暗。手回しの懐中電灯で夜道を照らして注意深く走り
、ホテルにもどってきたときは8時をまわっていた。大きな湯船で冷えた体を温めた。

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