2017-03-19

陸前高田訪問記2

 定員20人の小さな福祉作業所あすなろは、高台にあったので津波の被害はなかったので、直後は近くの保育園などからの避難者を受け入れて避難所とし、4月から作業を再開している。地元のゆずや塩を使い、独自の菓子を製造している。好評のため工房を新築中で、4月には完成するという。
 ここで障がいを持って働く利用者さんの中には、創作した詩を書にする人もいれば、50号もの大作をアクリル絵の具で描く人もいる。それぞれが辛い震災の中から、自ら描くものを見出し、素晴らしい作品にしている。それも作業所の中だけでなく、特に絵画は市内での展覧会などで地域社会にも発信し、さらには週末に奈良県生協連の協力で奈良においてのイベントも予定していて嬉しくなった。
 自転車で片道1時間ほどかけ、田崎飛鳥さんの自宅にあるいくつかの絵を観させてもらった。津波で亡くなった方たちのため、顔やフクロウや花などをいくつも描いている。丸い顔はどれも明るく笑っているのが心をうつ。枯れた一本松は、熱い生命力を愛しむように濃いピンクで描いてあった。凄い感受性である。
 詩を書にしている熊谷正弘さんは、神田葡萄園の家族の一員で、優しいご両親もいて震災の悲しみを乗り越え、活き活きとした書を描き続けているから驚いた。
 西條一恵施設長からも素敵な話をいくつか聞くことができた。訪ねた日の朝にぎっくり腰となって欠勤して会えず、最初に顔を会わせたのは16日の夕方前であった。震災直後に行方不明者を探して遺体の見回りに一人でずっと行って体調を崩したことや、親の介護や障がいをもった息子たちの対応などでの心労もあったが、そんなときいつも利用者さんがそっと傍に来て、何も言わずに優しく肩をポンポンと叩いてくれるなどした。それだけで前向きに生きる希望につながった。
 17日の午後に再び西條さんから話を聞かせてもらい、お礼を伝えてバス停へ自転車で向かおうとすると、「少し待って」とのことで玄関に入った。すぐに戻ってきた手には小さなビニール袋があり、帰りの電車で食べてくださいとのこと。バスの時間がせまっていたので、リュックに入れ頭を下げて別れた。
 バスを降り気仙沼で電車に乗り換え、お腹もすいたのでもらったビニールを取り出した。オリジナルの紅茶のシホンケーキや「北限のゆずケーキ」などが入っていて恐縮した。工賃の元になる大切な商品で、本来であれば私が代金を支払わなければいけなかった。ふと袋を見ると、赤と緑のペンで花を描き、裏には「ありがとうございました」と書いてある。思わず目頭が熱くなった。このお礼も込めて、これまでにない8冊目の復興支援本を書こうと決心した。
 

 

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