2017-03-19

陸前高田訪問記1

 3月13日の早朝に家を出て常磐線で上野に出て、東北新幹線に乗って北をめざし、一ノ関経由で気仙沼に入り、そこからJRのバス乗り換えて昼過ぎに目指す陸前高田市の高校前で下車した。
 「奇跡の一本松」で有名は当市は、震災前に人口24246人いた市民の実に6.7%が津波の犠牲になり、障がい者手帳の保持者に限定すればさらに高く8.0%にもなっている。3年ほど前に通ったことはあるが、風景は一変していた。震災直後の自衛隊のヘリから、壊滅していると情報が流れた市街地は、近くの山を切り崩し、津波の来た平地を5、6mほどのかさ上げするため、ダンプや起重機の動きが激しい。
 このため道路も変わり以前の地図はまったく役立たず、インターネットで訪問先の地図を個別に打ち出していたが、まるで道順がわからない。バスから降りて持参した折り畳み自転車を組み立て、リュックを背負ってペタルを踏み出した。
 地図を見ると高台にある高校の裏手で、プリントの道を見つつ登っていくと、そのまま進む道がない。元にもどり高台を廻っていくと、ダンプが何十台も並ぶ広い造成場に出た。しかし、そこも先に進む道がなく、また元に戻る。約束の時間になり力を入れてペタルを踏んでいると、防寒コートや手袋の中は汗だらけになった。
 訪問先に電話して場所を確認し、やっと最初の訪問先の福祉作業所を訪ねたときは約束の時間を30分まわっていた。今度は濡れた下着のままで聞き取りをしたので、部屋に暖房は急に体温が下がり、不覚にもすっかり風邪気味になってしまった。
 今回の17日までの旅の目的は、「障がい者と震災復興」をテーマにする復興支援本の8冊目の関連で、「ノーマライゼーションという言葉のいらないまちづくり」を進める陸前高田市の今を知ることであった。そのため複数の福祉作業所の責任者や障がい者、それに市役所の担当する職員などからの聞き取りを考えていた。

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