2017-05-23

南相馬の作業所訪問

 5月17日から20日まで、この2月に続いて2回目の南相馬入りをしいくつかの作業所を訪ねた。今回は障がい者と一緒に作業をさせてもらい、同じ目線で作業を理解することが主な目的であった。
 鹿島区を中心にしているNPOあさがおでは、就労継続支援B型の「きぼうのあさがお」を中心にし、この秋には7軒目となるグループホームや、急に運営の決まった農業体験交流館の完成と事業が広がっている。自らも障がいがある西理事長は、障がい者の自立を大切にし、一人で暮らすことと仕事の両方ができることを重視している。
 ここでは豆腐や豆乳に使っている有機農法の青ばた豆の選別や、基盤に部品を組み立てる作業をさせてもらった。
 原町区と小高区を中心にしているNPO「ほっと悠」では、村田理事長も参加して朝の体操を全員でしてから作業が開始する。ここでは資源回収や車の電子回路に使うリード線の伸ばしもあれば、近くの「ほっと悠Ms」では弁当を作って配達もしている。さらに昨年夏に規制が解除となった小高区における区役所のホールや、この4月には地域のたまり場としてのCafeを運営している。作業場を少しでも広げて、障がい者の受け取る工賃を高くするように工夫している。
 いくつもの作業をさせてもらい、親しくなった障がい者と会話や昼食を楽しむことができた。たとえいろいろな障がいがあっても、作業や方法を工夫すれば働くことのできる人はたくさんいる。

2017-05-13

ネパール・スタディツアーの報告会

 3月に7名で実施したネパール・スタディツアーの報告会を、12日に都内で開き里親たち14人が参加した。
 乾杯して喉をうるおした後で、ツアー参加者のそれぞれから5分ほど報告した。私はパワーポイントの映像を使い、新たにスタートさせたカースト制度最下層のダリットの子ども向け支援スリジャナ・サムハを紹介した。
 6歳の男の子で足の骨に癌ができて手術したアルビン・ダージ君は、今は普通に歩いているが、手術した足の骨は成長しないのでやがて歩行障がいが出るとのことであった。両親と弟の4人家族。
 5歳の男の子のサンギャ・ラマ君は、両親を含めた家族4人で、外光のほとんど入らない1つの部屋で暮らしていた。
 4歳の女の子のサビナ・バンダリちゃんは、母と2人で暮らしている。悪臭のするドブ川と学校の塀の隙間に土のう袋を積み上げた細長い場所に、バラック小屋が並び、その1つで暮らしていた。目のくりくりした可愛い子である。
 私にとっては孫がまた増えたような感じであった。預けてある75万円は、定期貯金で利子が12%が付くので、もう少し支援する子どもの数を増やすことができると期待している。
 ネパール子ども基金として支援しているネパールの市民団体HEENEP(ヒーネップ)の決算書の報告もさせてもらった。前年度は日本の里親が減って60万円ほど足りなくなっているが、これまでの内部留保で120万円ほどの固定資産があり補てんしている。
 会場ではカトマンズにいるウッタムさんたちとスマホを使って、互いに映像を見ながらしばし会話することができた。便利になったものである。
 またメンバーの一人である原田さんが、「ネパール子ども基金・里親の会」のホームページを立ち上げてくれた。これまでの取り組みや写真などもたくさん入っている。情報交換などで役立つことだろう。
  http://ncf.yuukoharada.com/
 写真は完成した今回のツアー報告書23頁の表紙で、下部のスケッチは私が描いたものを編者が余白埋めに入れてくれた。


 

2017-05-12

鳥取県の作業所のゆめ工房を訪ねて

 5月8日から11日にかけて、鳥取県は米子市の南に位置する伯耆(ほうき)町を訪ねた。2011年3月の東日本大震災で壊滅的な被害を受けた女川町で、永年パンやカリントウの製造をしていた阿部雄悦さん(76歳)に会うためである。女川で再建したかったが物理的にそれができなかった阿部さんは、縁があって震災直後に鳥取のここへ移り、再び障がい者と一緒になってパンやカリントウを作りはじめた。震災前から女川で販売するだけでなく、全国各地で障がい者が働く作業所など40カ所へ生地や商品を卸しており、1日も早く再建することが求められていたからである。
 大山のふもとの2か所で、元JAの施設などを改造し、カリントウやパンの製造の他に、サンマやワカメなどの加工場や、さらには地域の方たちにも自社商品を美味しく食べてもらうため小さな居酒屋「おらほや」も併設して運営している。
 阿部さんが開発した食品保存の酵素「夢21」を使い、カリントウやパンは冷凍生地から障がい者でも美味しく作ることができ、処理した水産物は数年でも保存させてから刺身で食べることができる。これまでに140種類ものカリントウを作り、材料には女川のサンマやワカメもあれば、鳥取の長いもやどじょうやしじみもある。
 阿部さんの凄いのは、そうした商品の開発と同時に、障がい者が働く作業所を2か所も作り、ゆめ工房21は労働契約をむすばない障害者就労継続支援B型事業所でカリントウを作り、ゆめ工房は労働契約をむすび最賃法を守る障害者就労継続支援A型事業所ではパン作りや水産物の加工をしている。このためBからAに移るなど障がい者の意欲と能力に応じて自立を促し、月給10万円以上を受け取るようになったある若い女性は、一人でアパート暮らしをし、また通勤用に車を買ったと嬉しそうに話していた。
 「震災後にここに来て、家族が増えましたよ」
 楽しそうに話す阿部さんの笑顔が印象的だった。
 パン屋の丁稚奉公から自らを鍛え上げた阿部さんは、障がい者福祉や社会福祉などの理屈から
でなく、目の前に困っている人がいれば素直に自分にできる手を差し伸べて支えてきた。そのことによって金では味わうことのできない人間的な豊かさに触れてきたことを喜んでいる。