2017-11-27

生協と生協人の在り方は?~大阪いずみ市民生協問題20年目に考える~

 11月25日の午後に都内で表題のシンポジウムを開催させてもらい、沖縄や九州を含め52人もの参加で熱気ある議論をすることができた。20年まえに大阪いずみ市民生協において、代表権を持つN副理事長が、億単位の私物化や、さらには女性職員や組合員理事へのセクハラなど、生協として信じがたい暴挙があった。これに怒った3人の職員が内部告発し、それに対して理事会は解雇2名と長期自宅待機1名で応えた。事実が公になり、告発者の3人を支援する動きが拡がり、私はその全国組織の事務局長として微力ながら支えさせてもらった。
 裁判は画期的な勝利をおさめ3人は職場復帰したが、裁判の終了と同時に全国の支援運動も終わった。裁判はあくまで弁護士が中心であり、生協人としての主体的な問題の掘り下げは不十分のままであった。そこで20年後の今、大阪いずみ市民生協問題を入口にし、これからの生協や生協人の在り方を考えることにさせてもらった。
 シンポの前半の1時間半は、告発者3人や当時のちばコープ高橋理事長から、いずみ問題とは何であったのかリアルな報告を受けた。
 後半はまず私が30分で「生協における働き方を考える」とし、①日本における働き方、②大阪いずみ市民生協で問われた働き、③課題で触れさせてもらった。自分の頭で考え働き、1度しかない人生を悔いなく生きることが大切で、ある調査では終末期の人の70%がチャレンジしなかったことを後悔していることや、私自身の生協人としての働きも紹介させてもらった。
 続いて「大阪いずみ市民生協で問われた課題」として元日本生協連矢野専務が30分で、①1990年代後半・生協危機、②いずみ生協事件の深刻さ、③ガバナンスの課題、④職員と労組の役割り、⑤内部告発と不当解雇、⑥日生協&生協労連の役割りと限界、⑦民主団体・弁護士の対応、⑧20年の変化と残されている課題に触れた。日本全体の景気が大きく悪化するであろう2020年に、再度生協の在り方が問われることになり、いずみ事件の教訓を噛みしめる必要があるとの指摘であった。
 休憩の後は、参加者との議論を5時まで熱くし、関わった生協人だけでなく弁護士や学者などからも率直な意見交換をすることができた。その後の懇親会には33人もが参加してくれて、美酒を飲みながら楽しく懇談することができた。美味しいお酒を味わうことができた。
告発した勇気ある3人梅渓・坂田・内田さんと

 

2017-11-19

踊る96歳の母 高知に帰省し

 11月13日から17日まで高知の実家に帰省した。96歳になる母は、この春先から市内の老人施設でお世話になっていたが、何と11月10日から家での暮らしに2か月ほど復帰することになった。そのため段差をカバーするなど家の改装などもあり、また何もできないが長男としての責任もあって、今後のことを兄弟で相談したいとも考えた。
 在宅で週に3回(月、水、金)はデイケアを使う。弟は実家にいるが、ビニールハウスでのキューリ栽培が忙しい今は、朝4時に出て帰りは夜の8時や9時で、とても介護などできない。実家の近くに住む妹が、仕事の前と後で寄ってくれて、食事や薬などの世話をみてくれている。
 足腰がだいぶ弱った母は、それでも伝い歩きはできる。以前から熱心な信仰があり、前は毎朝のように大きな神殿の前に正座し、長い祝詞をあげていたが今はそれもない。それでも3日目の夜に夕食の後で、妹と3人でおしゃべりをしていたときのことである。桂浜の近くを車で走るとき、いつも「南国土佐を後にして」を一緒に歌っているというので、ぜひ聞かせてと頼んだ。最初は嫌がっていたが、妹と私が手拍子して歌い出すと母も歌い出し、さらには急に立ち上がって踊りだしたのには驚いた。他にも「めんないチドリ」を歌い踊ってくれた。背中を伸ばし、軽やかに回転もした。
 さすがに翌朝に母は、「疲れた」と言っていたが楽しそうであった。長年苦労をかけた母である。いつまでも元気でいてほしい。

 17日の昼前に、弟の車で空港へ向かう途中で南国市の物流団地にある生協のセンターを訪ね、その一角にある特例子会社ハートフルコープこうちを訪問した。若い障がい者5人が、生協の共同購入で使うプラスチックの箱の清掃をしていた。段ボール紙などの資源化なども来年には事業にし、より多くの障がい者の雇用を予定しているとのこと。生協の社会的役割発揮のためにも、ぜひ障がい者支援を強めてほしいものだ。
 

2017-11-12

世界の核災害

 11月12日の10時から18時30分まで、都内で「世界の核災害に関する研究成果報告会」があり、それも無料でそれぞれ第一線での研究者12人の報告とあり参加した。テーマは下記と多彩で100人ほどと一緒に最後まで聞いた。
 ①ウラル核惨事、ウィンズケール火災事故、ウラジオストク原潜臨界事故の顛末
 ②マーシャル諸島米核実験の「その後」
 ③仏領ポリネシアでのフランス核実験と公式報告に観る放射能汚染・被ばく状況
 ④セミパラチンスク住民の核実験に対する認識について
 ⑤核被害者への援護制度
 ⑥ABCCと米原子力委員会の被爆者調査
 ⑦放射線の継世代(遺伝的)影響研究の現状と問題点
 ⑧事故31年、チェルノブイリ高濃度汚染地域の内部被ばく
 ⑨誰がどうやって事故を収束したか?~チェルノブイリ・東海村・福島の現場で~
 ⑩英国の核災害時緊急事態対応体制から学ぶ
 ⑪米国の核廃棄物問題の現状
 ⑫台湾の原子力政策の転換過程~「フクシマ・エフェクト」はどう作用したのか
 途中に休憩はあったが、堅い話をこれだけ聞いているとさすがに疲れた。それも決して楽しい話ではない。それでも考えさせられる有意義な内容がいくつもあった。
 ある人が核文化は、「否定し嘘をつき機密にする」ことと解説しているそうだ。まさに福島でも同じである。アメリカにおける核廃棄物の処理は、広い国土もあってか日本よりもずさんとのこと。それにしても健康や環境などへの被害は拡がり、いずれ手に負えなくなる。福島の事故から学び、台湾では建設中の原発を止め、脱原発の国政に舵をきった。それは喜ばしいことだが、わが日本では何も事故から学ばずに再稼働や輸出を進めている。いったいこの国はどうなっていくのだろうか。



 

2017-11-10

圧政ヲ変ジテ自由ノ世界ヲ ~秩父事件の情熱を今に~

 農民連の集会で、山の流木防止に関して秩父の新井健二郎さんから10分ほどの貴重な報告があった。今年の7月に九州北部豪雨があり、死者と行方不明者で41人もでている。その生々しい現場を先月訪ねていたので興味深く聞いた。杉やヒノキの針葉樹は根の張りが浅く、山の構造にもよるがすぐ崩れて土石流になる。そこで新井さんは、危ない山の巨木を1mほどの高さで全て切り、そこに切った木を横に積み上げている。それらの木が枯れる頃には、広葉樹の雑木がはえて自然に近く災害により強い山になるそうだ。
 休憩時間に名刺交換させてもらい、討論会の終わった午後に市街地から車で30分ほどの自宅まで連れていってもらい、その裏山を見せてもらった。山すそは石で固めて2年で雑木は大人の背丈よりも高くなり、これであれば土砂崩れもたぶんないだろう。
 4年間のシベリア抑留から帰国した新井さんは、まず山の木を全て切って牧草を育て牛を飼ったが失敗し、今度は国策に沿って杉を植えたが、やっと販売できるまで成長したとき政府は材木を自由化し売れなくなった。そこで福島から柿を自力で学び生産を今も続けている。
 ところで新井さんは1884年に起こった秩父事件にとても詳しく、次々に貴重な話が出てくる。92歳になっても記憶は鮮明で、会話も普通にできる。頼まれて秩父事件やシベリアを含む戦争体験などの講演を、今も元気にしているから凄い。当時の圧政に対し養蚕のできなくなった秩父の農民が、自由民権の考え方で世直しをしようと立ちあがった。それも各地に広がりつつあった自由党の傘下で行動しようと集まったが、秩父でスタートさせる2日前に自由党は解散し、党首の板垣退助は事もあろうに政府から莫大な金をもらってヨーロッパへ逃げた。同じ土佐人として私は恥ずかしい限りである。
 詳しくは2004年の映画「草の乱」にも描かれている。決起に集まった農民は3000人で、最終的に1万人が関わっているから、まさに草の根の力による社会運動であった。ところが政府は暴動と決めつけて厳しく処罰し、全国の教科書でも自由民権運動の1つと高く評価されてからも、地元では長く否定的であった。新井さんたちの地道な取り組みで、80周年や100周年の集会を成功させながら、記念碑や記念会館などが地元にできている。
 新井さんのワクワクするドラマは、最近の赤旗日刊紙に「秩父事件を歩く」として6回も連載されている。新井さんの近くにいると、133年の時間を超え秩父事件のとき松明を掲げて山野を駆け巡った闘志の熱気を感じた。
東京めざし松明をかかげる「秩父事件青年の像」前の新井健二郎さん

「今だけ、金だけ、自分だけ」の農政からの脱却を ~農民連関東ブロック研究交流集会に参加~ 

 11月8,9日と秩父にて農民連関東ブロック研究交流集会があり、会員ではないが農業や農家の現状を知りたくて参加させてもらった。東大の鈴木宣弘教授による特別講演「TPPを超える危機!日米FTA・日欧EPAで私たちのくらしは」が1時間半ほどあり圧巻であった。A4版で24枚もある資料を使い、それもメモを取るのも追いつかない早口で進んだ。
 農水省に15年もいただけに政治の裏側にも詳しく、安部政権になっていかに国民を無視した政策が暴走しているのか具体的に話していた。例えば今年の春に国会でほとんど議論せずに廃止した種子法で、日本人の食生活に不可欠な米・麦などの大切な種子を、アメリカの企業に開放する道筋をつけた。そのため「亡国の種子法廃止」とまで言い切った。悪影響は農家だけでなく、消費者や生協にも必至だろう。その割には生協の反応が一部で、全体として鈍く残念である。
 「国民のため」と口先では言っているが、実態は企業の金儲けが最優先である。遺伝子組み換え種子と農薬をセットにして世界中で販売しているアメリカのモンサント社は、人の健康被害が増えることを見越してドイツの製薬メーカーのバイエル社を買収し、さらに利益拡大をすすめている。TPPがストップしたかと安心していたら、TPP11となって動いている。それも詳しい交渉内容が明らかにならないので、どんな影響が出るのか心配である。
 最後に鈴木さんが強調していたのは、「自分たちの安全・安心な食と地域の暮らしは自分たちで守る」ことで、スイスのように生協と農業生産者団体が、国レベルでの協定書を結ぶなどしていることをヒントに示しまさに共感できた。
 名刺交換させてもらい、後日に連絡して研究室訪問の約束をさせてもらった。
 9日の午前中は討論の時間で、10数名の参加者から各地での取り組みの報告があった。2015年の1年間で農作業中に死亡事故は338件もあり、65歳以上が84%で80歳以上が47%とのこと。いかに高齢化した農家に過酷なしわ寄せがいっているか知って驚いた。消費者や生協は安さを求めることも大事だが、こうした農家の現実を直視し、一緒になってどのような社会や食や農業にしたいのか話し合うことが重要だと強く感じた。
熱く講演する鈴木教授
 

2017-11-05

今も福島第一原発2号機から放射能汚染物質が拡散 福島東葛活動報告会

 11月4日の11時から18時40分まで、千葉県のとある市民センターで「福島第一原発事故、隠された原因と責任 そして終わらない被ばくと汚染」と題した集会があり、70人ほどと一緒に参加した。
 報告の一人目は、飯館村の佐藤八郎村議。来春にまだ0.4μSv/h台と高い地域で学校を再開し、今の予測では迷っている38人を含め90人の小中生が通学予定だが、村は2300万円出し何と400人分の制服を有名なデザイナーに作ってもらいプレゼントするそうだ。もっと有効に税金は使ってほしいものだが。
 二人目は、今回のメインの山田國廣さんで、『初期被ばく その被害と全貌』(風媒社 定価2000円)の出版記念も兼ねていた。元は水に関した環境学の先生だが、震災後は原発事故による環境破壊問題に取り組み、データに基づき問題に鋭く迫っている。午前の話と午後の質疑応答を含め3時間ほど熱く語ってくれた。凄い本である。①事故は津波でなく地震で起きた、②重大な健康被害を起こしている初期被ばく、③今も2号機から放射能汚染物質が大量に放出などについて、膨大なデータや文献を基にし実証している。
 政府・東電・マスコミ・御用学者などの非科学的な説に対し、事実を積み上げて正面から反論している。細かいデータがいくつも入った352頁もの大著で、じっくりと精読したい。
 なお山田さんは、この本の内容を読んで理解したら、ぜひ各地のデータを同じ手法で検証することを訴えていた。住んでいる取手市でも取り組んでみたい。
 午後はパネルディスカッションで、福島や千葉など8人からの基調な報告があった。区域外のいわゆる「自主避難者」で、住宅の明け渡しを求められている生々しい話もあった。
 19時から交流会があり、山田さんや佐藤さんを含め40人ほどが輪になって楽しい場となった。
 長時間で少し疲れたが、たいへん有意義であった。まだまだ3・11以降の人災は続いていることを実感。