2018-01-12

アウシュビッツを訪ねて(上) ポーランドの旅2

 世界の負の遺産であるアウシュビッツ訪問は、ぜひ1度は訪ねたいと考えていた。7日目の10日朝に、氷雨の降る中をまずアウシュビッツ第一収容所に到着し、運良く唯一の日本人公式ガイドである中谷剛さんが案内してくれた。中谷さんの平和への熱い願いは、事前に読んだ『ホロコーストを次世代に伝える』や『アウシュビッツ博物館案内』に詳しい。73年前の過去の話だけにせず、日本での沖縄問題やヘイトスピーチなどにもつながるので、ぜひ現実を直視して各自の頭で考えることを何回も強調していた。
 有名な「ARBEIT MACHT FREI(働けば自由になる)」のゲートをくぐり、レンガ造りの建物などを見学した。おびただしい数の靴、メガネ、櫛、食器、義足、そして髪の毛などが山積みしてある。4歳の孫がはいている程の小さな靴もあり、思わず胸がつまる。さらには毒ガスを使った部屋や、餓死させた狭い独房もある。そうしたレンガや木製のドアなどに、爪で引っ掻いた傷跡がいくつもあり、どこからか叫び声が聞こえてくるようであった。銃殺に使った死の壁や殺した死体の焼却炉もあり、ここで多数の人々をモノ扱いしたかと思うとやりきれない。
 バスで5分ほど移動し、第二収容所のビルケナウも訪ねた。こちらは貨車で運んで来た人たちの終着場で、レールにまたがる「死の門」が有名である。少人数であったこともあり、中谷さんのカードを使い「死の門」の上の見張り台に特別登ることができた。鉄条網に囲まれた広大な敷地を一望することができ、あらためてその広さに驚く。
 こうした負の世界遺産は、同じ悲劇を絶対に起こさないためにも決して忘れてはいけないことだろう。愛用の数珠を掛けている首が重かった。
    第一収容所入口


    第二収容所 死の門
 

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