2018-03-25

花見に想う

 桜の花の季節となった。各地から開花の便りが届き、中でも故郷の高知からの日本いち早い知らせは嬉しかった。昨日、夕方から上野で知人と会う用事があったので、少し早く出かけて上野公園を散策した。満開の桜も素敵だったが、とにかく凄い人だかりに驚いた。
 いつもであれば私も缶ビールでも飲みつつ桜を愛でたいところだが、今年はそのような気分になれなかった。この2月に亡くなった石牟礼道子さんの、「花の文をー寄る辺なき魂の祈り」を想い出したからである。水俣病で亡くなった少女きよ子の母親が、石牟礼さんに語ったという内容である。歩くことのできない少女が庭にはって降りて、泥まみれになった不自由な手で桜の花びらを愛でていたことがある。そのことを石牟礼さんに、母親はこう話したという。
 「それであなたにお願いですが、文ばチッソの方々に書いてくださいませんか。いや世間の方々に、桜の時期に花びらば一枚、きよ子のかわりに拾うてやって下さいませんでしょうか。花の供養に」
 世間の一人である私も、母親の痛いほどの気持ちを感じたし、桜の花びらを通して水俣病で亡くなったきよ子とその母親、そして石牟礼さんの魂に触れることができた。

 公園で人の波を避けてたたずんでいると、大きな石碑の陰にホームレスの男性が座っているのに気付いた。すぐ目の前で酒盛りしつつ楽しんでいる人々は、誰一人として気にしていない。ボストンバックと白いビニールを被せた手押し車が横にあった。どんな人生を過ごしてきた方なのだろうか。

 
 

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