2018-06-24

咲いた被爆ハマユウ

 今年も狭い庭の被曝ハマユウに大きな白い花が咲いたし、株分けさせてもらった東京や千葉などからも、開花した写真が届いたりしている。
 広島市の比治山にあった暁部隊の兵舎横で育てていたインドハマユウで、1945年8月6日に原爆の被害を受けたが兵舎の瓦礫の中からよみがえり、大怪我をした兵士が実家の鎌倉に持ち帰って育てて、戦友がなくなると慰霊のため墓前に植えるなどして拡げてきた。
 以前に私は、兵士の息子さんから株分けをさせてもらい、反核・平和のシンボルとして長崎、沖縄の辺野古や伊江島などに運び植えてきた。さらには韓国、台湾、マーシャル諸島、スリランカ、ネパールなどにも運び、平和を考えるきっかけの1つにさせてもらっている。
 生命力の強い植物で、肥料はいらずに雨水で充分に育つ。茨城県あたりでは越冬も大丈夫だが、雪の積もる地域では鉢植えで冬期は部屋に入れておけば問題なく育つ。世界中にはまだ約1万発の核兵器があるとのことだし、さらに言えば同じ核分裂を原理にする原発による事故の影響はまだ続いているので、安心して暮らすことのできる世の中にすることを願う1つのシンボルとして、ぜひもっと多くの地で咲いてほしい。
 この8月6日には韓国のソウルで反核の集いがあり、被曝ハマユウクラブの事務局長として私は参加させてもらい、ハマユウに替わって平和への願いを話してくる予定である。ただし7分との短時間なので、よほどポイントを鮮明にした簡潔文にする必要があり、主催者に送る原稿を何回も推敲しているところである。

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