2018-08-24

メメント・モリ

 ラテン語のメメント・モリは、「死の記憶」とか「死を想え」などと訳され、人は必ずだれでもいつかは死ぬので、必至になって自分らしく生きろという願いを込めている。このため仏教の念死にも通じる。
 昨日の23日の11時から、都内の斎場である親類の「お別れ会」があり参列した。私と同じ齢である義兄には、一人娘に2人の子どもがいて、鬼籍に入ったのはその下の子であった。脳腫瘍の手術を2年間に9回も繰り返し、10歳と11カ月でついに旅だった。
 クラスメイトとその親、地域のサッカーチーム、それに学校や保育園の先生など約200人が集まり、無宗教で各自が想い出を話す良いお別れ会だった。棺桶の中に花を入れるとき頬に触れると、氷のように冷たかった。
 2時間ほどのお別れ会の最後は、出棺する車を子どもたちの緑の風船で見送った。

 親族で火葬場に行き、少し待った後で骨壺に長い箸を使って小さくなった白い骨を納めた。頭がい骨に直径1cmほどの丸い穴があり、よく頑張ったと思うとその日何度目かの涙があふれ出た。10歳の子どもを亡くした両親や、仲良しだった2歳上の姉の心中を想うと、私には慰める言葉もなかった。
 先週、ネパールからある里子の母親が自殺したとの連絡があった。4月に訪ねた新しい里子の小柄な可愛い母親で、夫婦でお寺のトイレ掃除をしつつ幼い2人の女の子を育てていた。また来るから元気でと握手して別れたので、再会することを楽しみにしていただけに驚いた。いったい何があったのだろうか。
 辛い別れは、他にも私にはいくつかあった。その1つが小学3年のときの母であった。始まったばかりのビニールハウスによる農業で、今では禁止されている農薬を使い、いくつもの病気を併発し長く入院生活をしていた。いよいよダメとなった最後の頃に、父に「みかんが食べたい」と母は頼んだ。8月の終わりで当時はハウス栽培のみかんはなかった。青い小さなみかんを父は持っていったが、もちろん食べれたものではない。それからというもの私は、みかんを口にするたびに優しかった母を想い出す。朝晩は、書棚に飾ってある位牌に手をあわせている。
 死者は肉体的にたとえ消えても、心の中でいつまでも生きていく。メメント・モリをこれからも忘れずに歩んでいきたい。
 
 

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