2011-10-25

やっと「協同っていいかも?」を出版


 約2年かけて愛知県は南医療生協を足げく訪ね、やっとのことで「協同っていいかも?」(合同出版 定価1400円)の出版にこぎつけることができた。この間に20回は現地を訪ね、100名近い方から面白い話をいくつも聞かせてもらった。ガンの末期で最後のコンサートを開いた方を、看護師や職員がサポートして成功させたこと、高齢の女性の自主性を大切にして認知症が大きく改善したグループホームなどなど、それらにはいくつもの協同の輪がある。
 南医療生協の50年は、「協同っていいかも?」と組合員や地域へ常に呼びかけ、それに「協同っていいよ!」と実践で応えてきた歴史でもある。誰かにお願いする要求追求でなく、協同を大切にした要求実現の実践と教訓は、地域社会に貢献する協同組合や生協の1つの確かな道を示していると信じている。
 国連が2012年を国際協同組合年と定めたことにより、我が国でも協同組合や生協に関する議論が活発化することだろう。協同組合の原点を問うこの本は、おかげさまで国際協同組合年認定事業に登録させてもらったので、生協運動の普及にもいくらか貢献できることを念じている。



 

2011-09-25

被災地に育て仙台白菜

 津波で被害を受けた田畑は、塩害で作物が育たない。そこで土を入れ替えて、かつ塩分に強い仙台白菜を育てて商品化するプロジェクトが「みやぎ生協」で始まった。名付けて仙台白菜プロジェクト。訪ねた生産地は、宮城県石巻市矢元のある農家。水田と畑の全てで作物を作ることができなくなり、ご主人は市内のガレキの撤去作業でバイトをしている。それでもどうにか農作業をしたいと、この仙台白菜に挑戦した。仙台白菜は、戦前まではよく作っていたようだが、その後は商品化されていない。今回はそうした伝統野菜をJAと生協で復活させ、さらには仙台のある高校の調理科が協力して、漬物でなくケーキなどの新しい商品にチャレンジするというから楽しみである。
 順調にいけば11月中旬には収穫することができるそうで、ぜひうまくいって欲しい。

2度目の気仙沼

 7月31日に仙台へ入り、民俗学者で地元学を提唱されている結城登美雄さん宅を訪ね、生産者に寄り添う大切さを教えてもらった。8月1日は、朝「みやぎ生協労組」の赤松委員長の車で石巻に入り、蛇田店の伊藤店長、大和地域代表理事、共同購入石巻支部の斉藤支部長、「こ~ぷのお家」の丹野施設長に会って、震災後の取り組みを聞いた。沿岸部が沈下し、生協の1つの店は満潮時に冠水するので閉店になっている。次回にゆっくりと時間をかけて石巻に入る予定で、翌日の2日早く南三陸町に向かい、志津川漁協とある組合員さんを訪ねて話を聞いた。
 夕方に気仙沼に入り、三浦支部長や春日地域代表理事に会って、今回の取材について協力をお願いした。その後6日まで組合員集会室に滞在させてもらい、水産業者、仮設住宅、復旧を目指す会社、避難所、図書館などを訪ねて聞き取りなどをした。5月のときに比べると、ガレキはだいぶ撤去され異臭も少なくなっていたが、それでもまだ復旧にはほど遠い。
 それでも嬉しかったのは、街のあちこちに咲くヒマワリの花である。支援者が市民を元気づけようと、ヒマワリの種を贈ってくれたようで、それは街が明るくなっていた。
  

2011-08-08

気仙沼の旅

 5月に続き2度目の気仙沼に入った。今回は5泊できたので、被災者からの聞き取りや視察もゆっくりできた。ガレキの撤去が進み、異臭もだいぶ少なくなっているが、仕事そのものがなくなっているので復旧にはまだかなりの時間がかかりそう。
 まだいくつか避難所があり、プライバシーを守るため小型のテントを体育館の中に設置し、これで家族が暮らしている。狭いし暑さも大変だろう。仮設住宅もいくつか見た。宮城県では大手の住宅メーカーに発注し、どこも同じ樹脂と金属製のプレハブで、断熱材もなくて日中は外より暑い。洗濯物を干す場所がわずかで、家族で暮らす人は困っていた。先の見通しが立たず、高齢の夫婦が最近心中したそうだ。他の高齢の女性は、家族同様に可愛がっていたペットの猫を殺し、自分も死のうとしたが失敗して、今は1人で仮設にて暮らしている。聞いていて、何ともやるせない気持ちに何度かなった。
 魚市場も訪ねて話を聞いた。岸壁にある市場は地盤沈下に対応して約1mのかさ上げをしているが、それでも満潮時には海水が入る。カツオの水揚げは再開されているが、冷凍や冷蔵の大型倉庫が全滅しているため、水産加工がまったくできずに生での流通のみ。関連する仕事ができるようになるためには、まだまだ時間がかかる。
 みやぎ生協の春日地域代表理事から借りた自転車で、取材や被災地まわりをした。沈下して海水の大きな池になっている場所で、魚が泳いでいるのには驚いた。津波は道路のアスファルトもいくつかの場所で剥ぎ去り、ダンプが走ると


土埃が舞い上がって目が痛い。
 それでも市内のあちこちに咲くヒマワリの花にホッとした。支援者から元気になって欲しいとの願いで届いた種が、各地で咲きはじめていた。こういう支援もあるのかと嬉しくなった。数は少ないが、仕事を再出発させた人もいた。
 

2011-07-14

台湾の旅2

 台北市内の2.28公園を訪ね、2005年に日本から運んで寄贈した被爆ハマユウに再会した。2.28とは、戦後に蒋介石が大陸から台湾に逃げたとき、多数のそれまでの台湾で活躍していた人たちを虐殺した事件を指す。まだ全貌が解明されておらず、どれだけの人が殺されたのかもわかっていないようだ。まだ台湾では戦後が続いており、そこで被爆ハマユウは「和平花」として公園の一角にある記念館の入り口近くに植わっている。台湾語と英語の解説文付きの大きな掲示板や、何と散水器も設置されており、大切にされていることがよくわかった。

台湾の旅1

 3泊4日で3万円を切る格安のツアーがあり、7月10日から13日まで妻と1年ぶりの海外旅行で台湾へ。故宮博物館を2時間鑑賞できるツアーも魅力的であった。成田から高雄に夜飛び、深夜にホテルへ入った。雨期でもあり、到着の4時間前は大洪水だったとのことであったが、着いた頃は大丈夫だった。
 11日は高雄市内の観光をした後で、台中から台北へとバスで移動。各地で活気のある町並みを見ることができた。
 台湾では八賢人が有名で、ガイドさんの話によると、この8人の神様が日本へ出発するときに1人が風邪を引いて出掛けられなくなり、そこで日本では七福神になったとのこと。七福神の1人は日本の土着の神だから、7人が台湾から来たとの話はおかしいと思うが、要はご利益のある神様であれば宗教にこだわらないのは台湾も同じようだ。
 台北市内の龍山寺もそうで、本堂に仏教の観音様を祭ってあるのはわかるが、その他に道教や儒教の神様も全部で7体も祭り、参拝者は大きな線香を7本持ち、違和感なく順番に参拝していた。

2011-07-07

福島県いわき市へ

 7月6日の早朝、愛用の折りたたみ自転車を持って常磐線を北上。勝田駅で乗り換えて、福島県の泉駅で降りたときは11時になっていた。暑い駅前で自転車を組み立て、小名浜港を目指した。30分ほどでたどり着いた港の変貌に驚いた。漁船はいくつか泊っていたが、かつての活気はまったくない。市場やたくさんの物産展などは、ガレキを撤去しているが、土台だけだったり、残った建物も1階は大破し、柱がゆがんでいたりする。電柱にぶつかったままの大きなコンテナもあった。
 やっと1軒の食堂があったので入ると客は私1人。聞くと船は出ても、福島の魚はまったく売れないので、宮城や千葉などに卸しているので、ここにはまったく上がってこないとのこと。このため製氷工場や加工工場、そして物産店などにまったく魚が出せずに困っているとのことであった。
 その後自転車で、湯元駅近くのパルシステム福島を2時に訪ね、専務さんから震災の対応などを聞いた。NPOなどと連携し、仮設住宅への支援などをしている。
 3時半から再び自転車で泉に戻り、4時からはコープふくしまの「いわき支部」を訪ね、支部長さんから話を聞いた。放射能の学習会や線量計の共同購入など、大変な中で模索をしている。放射能の汚染は、茨城に住む私も他人事ではない。


 6時に電車に乗り、買った500ミリのビール2本を一気に飲んだ。家に帰ると、両腕が日焼けで真っ赤になりヒリヒリするは、久しぶりの折りたたみの堅いサドルだったので腰も痛くなった。