2011-03-03

フィリピンの旅7

3月1日(火)
 10時半にロビーへ集合するが、迎えの車が来たのは11時過ぎ。これも時間を気にしないフィリピンタイム。NGO「バンガラップ・シェルター・フォー・ストリートチルドレン」を訪問し、責任者から説明を受ける。路上で暮らす男の子で7歳から17歳を対象にして、ここの施設で集団生活をし、公立の学校に通っている。なお施設の名称は、「路上の子どもたちに夢をもたらす場所」という意味である。1989年から活動しているカトリック系の施設で、日本からの支援者も多く、2年前に会った横浜の林さんは、80歳の今も元気で応援しており、4月にもまたあるイベントのため来訪するとことであった。
 1000万人をこえるマニラで、約7万人のストリートチルドレンがいるのではと職員は話していたが、正確な統計はないようである。
 1時から在日本大使館を相川さんと訪ねる。様子を知りたいとのことである大使館員からの要請で行ったが、何と食事時間がのびているとのことで、入り口において30℃を超える炎天下30分も待たされてしまった。当人は謙虚な人で好感を持つことができた。待たされたのは、何かの手違いだろう。
 雑談は30分ほどで終えた。「バランガイ」の日本訳について質問したが、適当な日本語がなくて大使館もカタカナでそのまま使用しているとのことであった。
 ホテルにタクシーで戻った後、一人で外に出て床屋へ行く。入り口にはショットガンを持った守衛が2人いて驚いた。床屋とマッサージを兼ねた店で、マッサージをする若い女性が何人もおしゃべりをしていた。散髪代は250ペソ(500円)でサッパリした。
 夜は、ホテルを訪ねてきたジョバンニと久しぶりに会い、近くの中華店で相川夫妻と一緒に食事した。アバタンでの話をし、中国製の格安発電機についてどう思うのか質問したが、今は風力発電を担当しているので、水力の担当者に聞いてみると彼はメモをしていた。
 レストランではビールをしこたま飲み、かつホテルに戻って相川さんがお参りに使った日本酒を飲み、フラフラになって部屋に戻り、そのまま熟睡した。

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