2011-05-28

ネパールと東日本大震災の報告会

 5月26日の6時から渋谷のコーププラザにおいて「JUKUさんのネパール報告と大震災を考える」集会があり参加してきた。JICAで活躍中の小澤重久さんからは、「ネパールの人々の暮らしと協同組合の活動」と題してパワーポイントを使った40分の報告があった。貧しい中でも助け合って暮らしている様子がよく分かった。私は「みやぎ生協、いばらきコープ、さいたまコープの震災対応」として写真を使った30分の報告。石巻で

生協の店長が店頭販売で、398円のキャベツを組合員のため300円にしたのに対し、近くの競争相手の店は利益のため500円で販売して客の怒りをかったことを報告した。どちらを向いて仕事をしているかである。
 他に「岩手県被災地報告」や「みやぎ生協の店舗支援体験報告」と盛り沢山であった。体験報告では、小川祐子さんによる歌いつつのマジックショーもあり、約20名のみんなで拍手した。
 9時に終えた後、いつもの安い中華料理屋に席を移し、ギョーザをつまみつつ小澤夫妻を含めて有志で二次会。来年の9月まで小澤夫妻はネパールに滞在するとのことで、それまでに3回目のネパール訪問をしたいものだ。

2011-05-25

ソウルの旅

 5月23日から25日までソウルを訪ね、高橋公純さんのお寺の一室で今回もやっかいになった。羽田から2時間で着き、時差もないので気楽に飛ぶことができる。韓国にホームステイして韓国語を勉強したいという知人がいて、その紹介をしたこともあって挨拶に訪ねたことと、いずれまとめる予定の上甲米太郎さんに関す資料集めが目的であった。
 ソウルにはかつて日本が、朝鮮を植民地にしていたときの資料館がいくつもある。その一つが西大門刑務所で、独立運動の闘士を投獄し、さらには虐殺もした場所がある。5年前に訪ねたときは、日本人が竹ベラを朝鮮人の爪に突き刺しているロウ人形があったが、それは無くなり机の上に血に染まった竹ベラが置いてあった。ここに治安維持法違反の罪で、小学校において教員の勉強会を組織しようとしていた上甲米太郎さんたちが投獄され、丸2年間服役していた。その当時の食事や日課などについて、事務所で聞き取りができた。
 伊藤博文を義によって殺害した安重根(アンジュウグン)の記念館も、当時の日本と朝鮮の関係を知るのに貴重な場所であった。韓国では国民的英雄であり、処刑されるまでの40日間で200本の達筆な書をしたためており、そのいくつかが展示してあった。処刑される5分まえに書いたものもあり、あらためて凄い人物だったことがわかる。
 韓流のブームはいいが、どれだけの日本人がこうした場所に足を運んでいるだろうか。ぜひ観て、かつて何があったのか知って


ほしいものだが。

2011-05-22

たたかいのルポ15号の合評会

 21日(土)に15号の合評会を王子区民センタの会議室で開催した。参加者は、会員が11名と読者が1名の計12名。顧問の故・今崎暁巳さんに黙祷した後で、まずは乾杯。4年ぶりの同人誌の発行であり、それはお酒が美味しかった。夏日でもあって冷たいビールや日本酒が、クイクイと入っていった。
 ただし、「これでルポ研も終わりか」と言った声も出ているくらいで、今後をどうするのかハッキリさせなくてはいけないので議論した。15号の合評も兼ねているので時間がどんどん過ぎ、5時までの一次会で終わらず、場所を変えての二次会で7時過ぎまで熱く議論した。ルポ教室を開いて新しい仲間を増やすことや、インターネットを使って議論や発表の場を拡げ、ぜひ再出発しようとなった。課題はあるが、ぜひ続けたいものだ。
 明日から2泊3日のソウル。西大門刑務所などを視察し、いずれ本を考えている上甲米太郎さんに関わる資料を探してくる予定。被爆ハマユウで関わっているお寺に今回も宿泊させてもらい、ボランティアの人たちとの交流もある

ので楽しみ。

2011-05-20

埼玉県での原発避難所

 埼玉県北部の加須市にある旧騎西高校には、4月1日に埼玉アリーナから移ってきた福島県双葉町から移ってきた約1300名の方たちが暮らしている。そこに「さいたまコープ」が毎週木曜日に炊き出しをしており、それを昨日19日に佐藤理事長が訪ねるとのことで同行させてもらった。役場も一緒に避難しており、テレビでは何度も見ていたが、教室や体育館などに避難者があふれ、その大変さを現場で実感できた。人数が多いため簡易の間仕切りも設置できず、着替えは廊下に設置した段ボールの箱の中でおこなっていた。これではストレスが溜まる一方で、1日も早く間仕切りを設置し、また仮設住宅などへ移ることが必要と痛感した。
 生協で提供していたのは、ワカメと豆腐の具がたくさん入った味噌汁と、ホウレン草のおひたしにキュウリの漬物。行政の届ける弁当では、汁がなく、かつ野菜が少ない。それを補うことを目的に、近くの生協の北本店で食材をカットして、生協の車で高校に運び、調理室などを使って生協のボランティア(今回の6回目からJAの女性部も合流)で調理し、配食している。総勢40名ほどが、役割分担に沿って対応し、避難者の方たちから感謝されていた。協同組合らしい支援である。


 

2011-05-15

青年劇場「族譜」を観て

 5月13日の2時から、吉祥寺の前進座において青年劇場の「族譜」があり出掛けた。梶山季之原作でジェームス三木脚本・演出である。この劇にも出ている女優の上甲まち子さんから、父米太郎さんのことを書くためにも、ぜひ観た方がいいとのことであったので楽しみにしていた。1940年(昭和15年)の植民地であった朝鮮のある地方を舞台に、日本政府による創始改名によって引き起こされる悲劇を演じていた。700年もの一族の伝統をもつ地主のソルジニョンは、姓を変えることに強く反対するが、孫たちにも被害が及ぶとして改名し、その日に井戸で自殺する。フィクションではあるが、こんなことがいくつもあったことだろう。期待したとおりの劇であった。
 かつての帝国主義時代の傲慢さは、放射能の高い汚染水を「低濃度」と称して公海に垂れ流している今の為政者にも、私には重なって見えた。
 来週にはソウルを訪ね、韓国のボランティアグループの人たちと2年ぶりの交流をし、

上甲米太郎さんが2年間も投獄されていた西大門刑務所もまた見てくる予定。

2011-05-14

みやぎ生協の震災対応

 新幹線が復旧したので、5月11日、12日と宮城県を訪ねた。もっと滞在したいと思いホテルを探したが、なぜか仙台市内はどこも満杯。やっと11日だけあったので、いやいやながら右翼のアパ系列のホテルを使った。
 11日は八乙女にある「みやぎ生協」の本部へ。事務所は天井が落ちるなど、ひどい状態になっていた。宮本専務に話を聞き、関連する資料をいくつももらった。職員で14名が死亡し、まだ2人が行方不明とのこと。80億円ほどの損害になるようで、内部留保を一気に崩しても足りず、経営は大変になりそうだがリストラもせずに頑張るとのこと。
 12日は、みやぎ生協労組の赤松委員長が、支援物資を石巻経由で気仙沼に届けるとのことで、その車に同乗させてもらった。被災地をテレビでは何度も観ていたが、実際にその場に立つと、臭いもあるしホコリもあってより大変さが実感できた。建物の基礎だけ残して瓦礫と化した街や村を、ただ言葉もなく呆然とながめていた。
 石巻の蛇田店の伊藤店長に話を聞いた。停電でレジを使うことができなかったが、組合員の暮らしを支援するため、商品は100円と300円にして店頭で販売を続けた。その頃1個398のキャベツを300円にして販売していたら、近くのあるスーパーでは500円で売ったとのこと。するとそのスーパーの客から、「生協は300円なのに、便乗値上げだ」と抗議の声が店やツイッターで流れたとのこと。さすが生協であるし、そうした店長がいるとは頼もしいかぎりだ。ぜひこれからも生協らしく、組合員や地域を大切にする目線で頑張って欲しい。

2011-05-08

映画「無言館」

 上野区民館で下町人間の会が呼びかけて、映画「無言館」の試写会があり出掛けた。長野県は上田にある無言館は、戦没画学生慰霊碑美術館として全国に知られており、そのドキュメント映画である。館長の窪島誠一郎さんの思いを軸に、無言館のメッセージを静かに、しかし強烈に投げかけていた。窪島さんの語りがいい。絵は他の芸術と異なり、対象を愛さないと描くことができないので、この無言館は反戦平和というより、愛の美術館だと解説していた。愛する恋人や母や故郷を限られた時間の中で必死に描き、できれば再び戻ってきて書き足しをしたいと願いつつ異国に散った若者たち。さぞかし無念であっただろう。
 主題歌の「乾かぬ絵具」で窪島さんは、「乾かぬ絵具よ 今も 少しも色褪せぬ あなたの一滴の生命よ」と高らかに詠った。歌手の佐藤真子さんは、映写の前に熱唱してくれた。
 経済主義のあげくに原発が事故を起こし、大変な被害を今も福島を中心に広げている。全国の原発をすぐに止めるべきだ。9・11の首謀者と証拠もないのに決め付けて、丸腰の男を家族の前で射殺し、歓喜しているオバマやアメリカの民衆を見てゾッとした。何ということをするのだ。
 先月末に

62歳にもなったのに、年甲斐もなく怒ることの多い昨今で、「無言館」の映画はしばし心を鎮めてくれた。5月14日から6月10日まで、新宿武蔵野館で上映される。ぜひ一人でも多くの方に観て欲しい。
 再び上田の無言館を訪ねたくなった。