2011-06-11

岩手県の被災地

 6月8日から10日まで岩手県に入り、沿岸部の被災地をまわってきた。まず8日は盛岡市にある「いわて生協」の本部を訪ね、菊池専務や県連の加藤会長などから、震災後の生協の対応などについて聞き取りをした。約2000名いる職員のうち、2名が死亡または行方不明となっている。地震による建物の被害は幸いなことにあまりなく、滝沢村にある本部の入り口前の雨避けが落下した程度。やはり大きいのは津波であった。加藤さんからは、生協だけでなく生産者の復興への取り組みなど、幅広い動きを聞くことができて参考になった。特に漁民を中心とした、県漁連や宮古市にある田老漁協の動きは興味深く、9日と10日にそれぞれの事務所を訪ねることにした。
 9日は8時半にホテルを出て、生協職員の畠山さんの案内でまず宮古市へ。偶然にも田老の出身で、父親は漁業をしていたとのことで詳しい話を聞くことができた。「津波太郎(田老)」の異名を持つ田老地区は、日本一と言われる10mの堤防が集落の入り口に設置してあることで有名だが、今回の津波はそれを超え、いくつかの鉄筋の建物を残して町並みは全てなくなっていた。
 宮古市には生協の店が4店あり、その中でも一番大きなドラ店を訪ね、菅原店長などに話を聞いた。津波で犠牲になった方の遺体にかける浴衣を、被災していない組合員に店内放送で呼びかけた店長でもある。生協らしい人道支援がここでも展開されていた。
 午後は車で南下し、山田、大槌、釜石と廻った。どこも町並みが消え去り、「ここに町がありました」と言われても、想像すらできない。異臭だけでなくハエが大量に飛び交っており、住民の

衛生のことが心配になった。盛岡に帰ってきたのは、夜の8時を過ぎていた。
 10日は、生協の労組や県漁連、そして岩手信用生協の上田専務を訪ね、それぞれ震災への対応などについて聞かせてもらった。

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