2011-08-08

気仙沼の旅

 5月に続き2度目の気仙沼に入った。今回は5泊できたので、被災者からの聞き取りや視察もゆっくりできた。ガレキの撤去が進み、異臭もだいぶ少なくなっているが、仕事そのものがなくなっているので復旧にはまだかなりの時間がかかりそう。
 まだいくつか避難所があり、プライバシーを守るため小型のテントを体育館の中に設置し、これで家族が暮らしている。狭いし暑さも大変だろう。仮設住宅もいくつか見た。宮城県では大手の住宅メーカーに発注し、どこも同じ樹脂と金属製のプレハブで、断熱材もなくて日中は外より暑い。洗濯物を干す場所がわずかで、家族で暮らす人は困っていた。先の見通しが立たず、高齢の夫婦が最近心中したそうだ。他の高齢の女性は、家族同様に可愛がっていたペットの猫を殺し、自分も死のうとしたが失敗して、今は1人で仮設にて暮らしている。聞いていて、何ともやるせない気持ちに何度かなった。
 魚市場も訪ねて話を聞いた。岸壁にある市場は地盤沈下に対応して約1mのかさ上げをしているが、それでも満潮時には海水が入る。カツオの水揚げは再開されているが、冷凍や冷蔵の大型倉庫が全滅しているため、水産加工がまったくできずに生での流通のみ。関連する仕事ができるようになるためには、まだまだ時間がかかる。
 みやぎ生協の春日地域代表理事から借りた自転車で、取材や被災地まわりをした。沈下して海水の大きな池になっている場所で、魚が泳いでいるのには驚いた。津波は道路のアスファルトもいくつかの場所で剥ぎ去り、ダンプが走ると


土埃が舞い上がって目が痛い。
 それでも市内のあちこちに咲くヒマワリの花にホッとした。支援者から元気になって欲しいとの願いで届いた種が、各地で咲きはじめていた。こういう支援もあるのかと嬉しくなった。数は少ないが、仕事を再出発させた人もいた。