2013-02-19

トルコの想い出

 2013年1月28日から2月4日にかけ、格安のトルコ遺跡巡りツアーがあり妻と参加した。全ての食事と燃油サーチャージ(4万5000円ほど)込みで10万円を割るのだから、どんな仕組みになっているのか理解に苦しむが、年金の半分で暮らしている身にとってはありがたい。もっとも出発の日が大雪で、家は1時間ほど余裕を持って出たが、途中のJRの線路に雪で竹が倒れて不通となり、どうにかして成田にたどり着いたのは集合時間を大幅に遅れ、搭乗の手続き時間締め切りを過ぎていたが、事前に電話をしていたので滑り込みセーフとなり、寒い中にもかかわらず冷や汗をかいた。  初のトルコの旅は、実質6日間で現代と古代を長距離バスで忙しく廻った。トルコの玄関は、アジアとヨーロッパの接点にあるイスタンブール。70年代にヒットし大好きだった「飛んでイスタンブール」の歌の世界である。もっとも歌詞にある砂漠はトルコのどこにもなく、歌と現実の世界の違いはいくつかあった。かつてクリミア戦争のときに、ナイチンゲールが活躍した場所で、看護婦の始まった地でもある。シルクロードの中継地でもあり、アジアとヨーロッパの文化が融合した面白い街でもある。1例が書である。中国や日本などの筆の書に対して、こちらはブラシで書いているが、自由に勢いよく走る線は同じであった。  歴史の教科書で学んだトロイの木馬(改修中で写真しか見えず)や、鉄製品を最初に使ったフィッタイ人の遺跡などもあれば、古代ローマ人による水道の遺跡などもあり、時間を超えてスケッチも楽しむことができた。いくつかの遺跡ではまだ発掘中のものもあり、かなえるものなら何年か後に再度訪ねたいものだ。  毎日のように4から500kmほどバスで移動し疲れたが、その新しいバスにも驚いた。トルコで生産してヨーロッパにも広く輸出している最新の大型バスでゆったりし、Wifiの設備を備え移動中に持参したパソコンでインターネットのメールを見て、急ぎの返事を何本も日本へ発信することができた。昨年の経済成長は、中国についで2番目というのもうなづける活気が市内にあった。ただ、その経済成長を支えるため、日本からの原発輸入を検討しているとの話を聞き、まだ放射能の汚染が心配な取手市で暮らしている者としては、喜ぶ気分にはとてもならなかった。  

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