2013-08-28

松川事件無罪確定50周年

 8月24,25日と福島大学で所属する日本科学者会議の原子力問題全国シンポがあり参加した。いつものことながら簡易線量計を持っていく。乗り換えた郡山駅から0.2や0.3マイクロシーベルト/時間となり、それは福島大学に入っても同じであった。国際基準である年間1ミリシーベルトは時間にすると0.1であり、住民の健康が心配である。もっとも取手の我が家でも0.13マイクロほどあり、子どもや孫も心配だが。
 「福島原発事故・災害ー2年半後の現実と打開の展望ー」と題したシンポでは、初日の「福島原発事故の評価をめぐって」で4本、2日目は、「除染と廃棄物処分をめぐって」で3本の報告があった。原子力村との協力の在り方や、県が進める健康調査の評価などについて鋭い意見交換があって刺激になった。
 ところで福大では、ちょうど松川事件無罪確定50周年の特別展示をしており、両日覗いてみた。私の生まれた1949年に発生した列車転覆で3名が殺され、地元の国鉄と工場の労組幹部20名が不当に逮捕され、1審や2審で死刑や無期などを受けたが、14年もの全国的な闘いで全員無罪となった。アメリカの特殊部隊と日本政府の仕組んだ戦後の大事件の1つであった。膨大な資料があり、広津和郎の懐かしい本「松川事件」もあった。生協総研時代の友人である林さんがこの6月から福大に移っていたので、初日のシンポの後で会い、車で大学近くの松川事件の列車転覆の現場まで足を運んだ。
 途中で農婦に尋ねてたどりついた小さな公園には、広津による碑文の大きな「松川の塔」がそびえ、列車が転覆した現場の線路際には墓標が立っていた。
 松川事件の後で、広津はこう書き残している。
 「何よりも先に、正しい道理の通る国にしよう。我等の国を」
 汚染水1つをとっても、福島原発の事故がまだまだ収束にほど遠い状態にもかかわらず、原発の再開を準備し、さらには海外への売り込みを首相が進めている。一部に今でも
棄民化されつつある被災者を考えると胸が痛む。どうみても道理の通る国ではない。広津の言葉が、今も輝いている。
 写真は列車転覆近くの「松川の塔」

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