2014-11-24

ネパールの旅5

 今回、平和を願って2つの品を日本からネパールへ運んだ。
 1つ目は、庭で育てている被爆ハマユウである。広島に原爆が投下されたとき、市内の比治山にあった暁部隊の兵舎にあり被爆した。育てていた兵士の尾島さんがガレキの中から掘り出し、鎌倉に戻って育てていたものを分けてもらった。
 反核平和のため、広島の平和公園や都内の第五福竜丸の側などで育っており、私はこれまでに沖縄の伊江島や辺野古、韓国、マーシャル諸島、台湾、スリランカなどへも運んできた。ネパールで原爆展などをしている日本人がいると聞き、その方へ寄贈させてもらった。
 写真のように純白の花が咲き、上品な香りが漂う。茨城あたりでは7月の下旬に咲くが、沖縄では4月末には開花する。ネパールではいつ頃になるか楽しみである。
 2つ目は、この8月に広島の平和公園横を流れる元安川で拾った原爆瓦の破片である。以前は、瓦の表面が高温で細かいツブツブになっているものもいくつもあったが、今回はただ黒焦げになっている瓦が多かった。原爆が破裂したときの数千度の熱風によって吹き飛ばされた瓦の一部であり、小さい破片であるが歴史の重さを感じることができる。
 ネパールの地で、平和を考える何かのきっかけになってくれれば嬉しい。

2014-11-22

ネパールの旅4

 7年前の1回目のネパール旅行で、骨董品屋から直径18cmの古めかしいシンギング・ボールを80ドルで買い、時々鳴らしては楽しんでいた。金や銀や銅など7種類の金属でできた大き目の椀で、チベット仏教においても重要な品で、皮の付いた専用の棒で周囲をゆっくりこすると、ウヲーンという共鳴した音が流れてくる。これが精神を安定させる作用があるとのことで、心地良い音色が私も気に入っていた。
 ところが半年ほど前に棚から落ちて割れ、アロンアルファで補修したが、以前のような音色がしなくなっていた。
 そこで今回は、新しいボールを買うつもりで、店にあると品定めをして小さなものを4個購入した。ところが最後に訪ねたルンビニの現地ガイドの話では、シンギング・ボールより大きなフィーリング・ボールがあり、肩こりや膝などの痛みの改善に効果があるという。パタンのホテルの近くに専用の店があるとのことで、膝の痛い私はそこを案内してもらい、生年月日を伝えて写真のような直径28cmの大きな品を300ドルで購入した。
 これを痛む腰や膝や背中などに乗せ、ゴーンと専用の棒で打つと、細かい振動が体内の水分に伝わり健康に役立つとのことであった。ガイドの話では、現地の裕福な家庭では、1個は持っているとのことでもあった。さらには曼荼羅図を見ながらだと、さらに効果が上がるとのことで、こちらは他の店で90ドル出して購入した。
 まだ効果が自覚できるほどではないが、薬などに頼らずに健康を維持できるのであれば安い買い物である。それにしても仏教で使う道具が、こうして家庭の暮らしに役立っているのは興味深い。

2014-11-18

ネパールの旅3

 3回目のネパールの旅で、はじめてお釈迦様の誕生地であるルンビニを訪ねた。カトマンズの空港から小型のプロペラ機で25分の地にある。延々と2時間ほど空港で待たされてしまったが、上空では7000m級の白い山脈をくっきりと見ることができ圧巻であった。
 ルンビニの周辺には、お釈迦様が幼年期をすごした遺跡がいくつもあり、まず王子時代を過ごしたカピラバストウ城跡で、出家のために通ったという東門を見た。ただし、建物はまったく形をなくし、土台にあった赤レンガのみである。
 広大なルンビニ園の中心は、お釈迦様が産まれた場所で世界遺産となり、お母さんが出産時に使ったという池や、大きな菩提樹もあり、他には日本を含め世界15か国の22寺院が点在する。
 お釈迦様が完成させた仏教は、日本でも広く普及しているが、どうもその教えが私には今ひとつ分からない。昨年、義父が他界したとき戒名代として、「安くしました」と言いつつ70万円もとられたこともあり、葬式仏教と揶揄される日本の仏教には抵抗がないわけではない。
 しかし、2600年も続く仏教の本質は、何か学ぶに値するものがありそうで、いろいろ出発前からにわか勉強をしてみた。すると宗教の1つの仏教に区分されるが、他のキリスト教などとは本質的に異なり、絶対的な神など存在せず、あらゆる物事には原因があり、それを各自が取り除くことを呼びかけている。宗教を意味するReligionは、Re=再び、ligion=結びつけることで、神と人を再び結びつけることであり、キリスト教やイスラム教などがそうである。しかし、神を否定する仏教では、因果関係を見極めて、各自が考えて幸福になる道を歩むように促している。
 どうもかなり仏教を誤解してきたようで、人間の成長にとって大切なことを説く原始
仏教について、その本質をこれからも追いかけていきたいものだ。
 写真はルンビニ園の中心にある池と菩提樹。
 

2014-11-16

ネパールの旅2

 旅の目的の2つ目は、他の里子たちに会うことであった。遠路チョーバス村を訪ねたが、これがまた大変な悪路で、カトマンズから2時間ほどは塗装した道であったが、それから川を渡り山道の2時間は凹凸の激しい山道で、ドライバーは上下に腰を飛ばすながら苦労していた。同時に悪路で窓を開けると土ぼこりが舞い込んできて、せっかくの森林浴を楽しむことができなかった。
 昼に村へ着き、簡単な昼食をとって学校へと入った。歓迎式では、いくつもの金色色のレイを掛けてくれ、子どもから大人まで喜んでいることが理解できた。電気も水道もない村で、助け合いながら質素に暮らしている。
 こうした貧しい村から脱出するためにも、勉強することは極めて重要である。1年間の文具を受け取る子どもたちの眼の輝きが素敵だった。額と頬に赤い印を付けてもらい、里子たちの幸福を祈っていた。

2014-11-15

ネパールの旅1

 代表をつとめるネパール子ども基金(NCF Nepal Children’s Fund)のスタディツアーで、4人の仲間と11月6日から12日までネパールを旅してきた。6日の10時35分に成田を出発し、香港からダッカを経由し、ネパールの首都カトマンズに着いたのは、その日の22時25分であった。
 今回の第一の目的は、私の可愛い里子であるサンギッタちゃんの元気な顔を見ることで、今回はこれまで2回の学校訪問だけでなく、実家を訪ねて両親にも会うことにした。
 地元の子ども支援のNPOであるHEENEP(Healthy Education and Environment Nepal)を通して、学校での勉学用品を中心に1年に1万1000円を2008年から支援し、元日本生協連の職員などを中心にして2014年度で26人の子どもを応援している。
 カトマンズの市内から車で30分ほど走った、山すその農村で家族は暮らしている。以前はもっと田舎で生活していたが、内紛などの事情があって田畑を売り払い、都市近くまで出てきたが、土地を購入することができず、父親は日雇いの仕事をしつつ家族を養っている。なお16歳で7年生のサンギッタの下には、6年生と1年生の弟がいる。
 父親の日雇い作業を聞くと、農家などがする田植えや稲刈りなど、何でも頼まれればするが、1日500ルピー(日本円で約430円)の仕事は月に10日ほどとのこと。たまには仕事が多くて母親も同じ日雇いに出かけるが、収入は男の半分である。月にすると5000から6000ルピーとのことで、この中から年間2万ルピーの土地代を払い、いくら物価が安いネパールとはいえ、これで5人が満足に暮らせるわけがない。家族の住む小屋と牛小屋の横に、自分たちで食べる野菜を作っている40坪ほどの畑があった。
 父親の建てた小屋は、土の上に太めの竹で骨組みを作り、それに割った竹と土で壁にし、屋根はビニールを被せてある。水道はなく、電気は隣の家からもらい、裸電球が1個ぶら下がっていた。外から見ると、まるで家畜小屋である。
 それでもサンギッタちゃんの元気な笑顔と、真面目そうな両親が救いであった。ぜひこれからも健やかに育ってほしい。