2015-01-12

福島の被災地を訪ね

 1月7日から福島へ入り、各地で暮らす被災者やその支援者を訪ねた。最初の福島市では、ささき牧場の佐々木智子さんに会い、近くの仮設住宅などへ作った野菜などを届けている話を聞いた。「支援するなどという気負いはなく、家の畑で少し余分にできた野菜を届けているだけです」と話す姿が清々しかった。テーブルの皿にあったカボチャの煮物は、それはほくほくして美味しく、こんな野菜をもらった被災者も、きっと喜んで食べていることだろう。近くの仮設住宅の周囲には、20cmほどの雪が積もっていた。
 夕方に高速バスで会津若松へ向かう。福島駅では晴れていたが、二本松を過ぎた頃から雪になり、若松に着くころは凄い吹雪になっていた。
 8日は、早朝にまず猪苗代を訪ね、支援している年配の夫婦から話を聞いた。自分たちにできることをコツコツとしているとして、原発反対の100万人署名は知り合いに用紙をお願いして集めてもらい、被災者へは毎年暮に2升の餅をついて届けている。
 午後は、農民詩人の前田新(あらた)さんを会津高田に訪ねた。昼までは晴れていたが、高田の駅に降りた時は、荒れ狂う吹雪になり、かつ駅前にタクシーは1台もない。やっとのことで前田宅を訪ね、大きな柱の家の居間でコタツに足を入れた。
 「名刺替わりです」
 前田さんは、4冊の本を出してくれた。その1冊は、『詩集 一粒の砂ーフクシマから世界にー』とあり、震災後に詠んだ詩がいくつも並んでいた。その1つ「言葉」の最後では、次のように叫んでいた。
 「奪われた土地を取り戻すために
  私はこの地に生きて死にたい
  わが祖先とともにここでたたかいたい
  それはいのちがけのたたかいになる
  たたかいを挑む私の手に
  武器とよぶものは何もない
  精神の目 すなわち
  言葉だけだ」
 研ぎ澄ました言葉が、詩集の中で輝いていた。
 こうした福島に生きる人たちの息吹を、震災復興本の6冊目となる次作に反映させ
、ぜひ私の言葉で埋め尽くしたいと強く感じた。
 *写真は福島市内のある仮設住宅
  
 

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