2015-03-21

円空展から仮設住宅へ

 3月18日に仙台からの帰りに福島で下車し、資料の詰まったリュックをホテルに預け、県立美術館で開催中の東日本大震災復興支援とある円空展を観た。水害で母親を亡くしたことがきっかけで、飛騨に生まれた円空は、全国を行脚しつつ12万体ともいわれている仏像を彫るようになった。笑顔と怒りの顔の2つを持った両面宿儺坐像や、立ち木に梯子をかけて鉈をふるい作ったとされる金剛力士(仁王)立像吽形(うんぎょう)など、どれも見応えがあった。いずれ円空風仏を彫ってみたいものだ。
 1時間ほど鑑賞してから、美術館の前から飯塚線に乗って笹谷(ささや)駅で降り、300世帯ほどある笹谷仮設住宅を訪ねた。仮設は正式には応急仮設住宅と言い、災害時に2年を目途のまさに応急の住宅であるが、今回の震災ではすでに5年目へと入っている。一般的な間取りでは、押入れもない4畳半が2部屋に、小さな台所やトイレや風呂が付いている。それが長屋形式でつながり、隣とは薄いボード1枚が境となっているため、音がほぼ素通りである。またここの仮設は、コンテナのような鉄製の箱で、夏は暑く冬は寒い。震災直後はまだしも、すでに4年近くも暮らしている。住民のストレスは、かなり高いのではないだろうか。半分ほどの世帯が、ここから出て空家となっている。
 そうした中でも自主的なパトロール隊を組織し、夜の1時間は3人一組になって拍子木を叩きつつ安否確認などをしているから凄い。どんなに大変になっても人間は、助け合って生きていくものだ。
 19日は、NPOビーンズふくしまが被災者たちのたまり場として開設した「みんなの家@ふくしま」のオープンセレモニーを昼前から訪ねた。2階建ての民家を借り、地元の人も含めて被災者が自由に集まることができる。小雨にもかかわらず80人ほどが参加し、テープカットの後はチェロの演奏や「編んでるおばさんの楽しい人形劇」もあって、集まった子どもたちも喜んでいた。昼になるとコープふくしまの方たちの協力で美味しい豚汁もあれば、庭でついたおもちも並び、参加者はお腹を満たすことができた。このNPOは、もともとフリースクールの子どもや、震災後は仮設住宅の子どもの学習支援などをしている。素敵な取り組みをしている人たちは、ここにもいて嬉しくなった。

2015-03-20

第3回国連防災会議に参加して

 3月14日から18日まで仙台市において第3回国連防災会議があり、それと並行して開催されているパブリック・フォーラムシンポジウムが多数あって、15日から17日まで参加した。前者は政府関係者などが集まり、日本からは安倍首相などが参加して、「東北での震災復興は順調に進んでいます」と、表面的なきれいごとを言っているから聞いても参考にならない。
 それに比べNPOなどによる真面目な企画がいくつもあり、それらを選んで参加した。1つがJDF(日本障害フォーラム)などが企画した「身体障害に関するUNDESAフォーラムー包括的な防災とレジリエンス:社会的一体性が命を救う」で、先の震災で死亡率が健常者より障害者が2倍高いことを紹介し、その背景や対応についての議論があった。宮城県に限定すれば、その差は3倍以上にもなるとのことで驚く。たくさんの障害者の方たちが参加し、日本語と英語の手話もあった。
 「せんだいの杜の子ども劇場『笑顔でつながる杜の子まつり』報告と心のケア講座」も刺激的であった。スマホやゲーム器で子どもの健康が阻害されており、それを防ぐ市民の運動が専門家を交えて進んでいる。明るい中年女性たちが輝いていた。
 「大震災の経験に学び、防災・復興のあり方を考える」では、私も所属する日本科学者会議の主催で、兵庫県立大の室崎さんや東北大の片山さんなど、各分野での第一人者9名をそろえての内容の濃いシンポであった。3時間のシンポの後で関係者
の懇親会があり、それに参加させてもらい、室崎さんの前に座って懇親させてもらった。国が進める高台移転に当初から反対し、どんな地域にするかの哲学から構築すべきとの貴重な問題を提起している。今も毎週の土日は被災地に入っているとのことで、その科学者魂にはただただ敬服した。

2015-03-09

愛とヒューマンのコンサート

3月7日に埼玉県坂戸市で「つながって生きてこな!愛とヒューマンのコンサート」があり、取材と裏方のボランティアを兼ねて朝から出かけた。
 10時に会場の坂戸コミュニティセンターロビーに約25名が集合し、打ち合わせの後で準備にかかる。ロビーの窓ガラスにこれまでの被災地支援での写真や、当日のポスターなども貼った。
 来客の始まった12時半頃からは、ロビーでCDや本の販売担当をさせてもらった。2時の開演では、460席が満杯になり、最初から熱気が漂っていた。プログラムは、八木倫明さんのケーナと藤枝貴子さんのアルパを中心に、星の涙(ここだけヴァイオリンが入る)、埴生の宿、コーヒールンバ、コンドルは飛んでいくと、テンポの速い曲が流れ、会場は一気に盛り上がった。
 次は、日フィルで活躍しているヴァイオリンの松本克巳さんの登場である。モーツアルトのアイネクライネから入り、オウム事件で家族と一緒に犠牲となった坂本弁護士が大好きだった「タイスの瞑想曲」などを奏でてくれた。
 休憩の後はクミコさんが登場し、ともだち、愛の讃歌、100万本のバラと続き、最後は八木さんおケーナも加わり、広い河の岸辺で最高潮に達した。
 4時半におわり、隣の建物でお茶パーティーがあり、50人ほどの参加者にクミコさんも少し同席して交流してくれた。3前の「悲しみを乗り越えて共に歩もう」の出版に際しては、石巻でクミコさんに会って取材させてもらっていたのでそのときのお礼を私は伝えた。
 1時間ほどのお茶会の後は、坂戸駅前の集会場に場所を移して30人ほどがアルコールを飲みつつ楽しく交流した。主催者の今野夫妻、ヴァイオリンの松本さん、それに福島の仮設住宅から4名も参加し、多彩な人たちと楽しく有意な交流をさせてもらった。
 今執筆中の福島における5医療生協の本は、3月中に原稿の目途をつけ、次は1年ほど取材して音楽による復興支援を描きたい。写真はお茶パーティーの場面で、向かって左から今野さん、八木さん、クミコさん。

2015-03-05

「みちのくの仏像」に会って

 上野の東京国立博物館で、「みちのくの仏像」展があり足を運んだ。暖かい上野公園では、すでに満開になっている寒桜が1本あり、それを愛でつつ博物館に入った。
 「みちのく」とは、かつて京から遠い「道の奥」にあるとのことでできた言葉である。京からみれば辺鄙な田舎かもしれないが、どっこい東北には独自の文化が栄え、その1つが仏像である。東北6県の代表的な仏像が会場には鎮座し、それは壮観であった。奈良や京都の仏像のような上品な仏像もあるが、荒々しい東北土着の姿もいくつかあって見応えがあった。
 岩手県天台寺の聖観音(しょうかんのん)菩薩立像がある。大きな全身が荒々しい鉈彫りで、樹木に鉈を切りつけるたびに功徳があるとの教えを視覚に訴えているそうだ。
 3m近くもあって見上げるような十一面観音菩薩立像は、宮城県の牡鹿半島の先の高台にあって、先の大震災の津波ではかろうじて難を逃れた。それを祭っている建物には多数の避難者が来て、優しい顔を眺めて癒やされた。
 大好きな円空の大きな仏も、青森から3体届いていた。まだ円空初期の頃の作で、顔や胴体も滑らかに仕上げ、後期のような修練したダイナミックな線はまだない。
 それぞれ平安時代から江戸時代などの作である。そうした長い年月を経た仏像が、
3・11後の今の東北や日本をいったいどのように観、そしてこれからの社会の在り方や、一人ひとりの生き方をどう示しているのだろうか。
 絶対的な神などはいなくて、全てに何かの原因があると諭したお釈迦様の教えに従えば、仏像にすがるだけでなく、仏像を通して今回の人災の原因に正面から立ち向かうことが大切のようだ。
 

子どもの食を考える

 昨日は、東京都生協連主催の「食の現在を考える」連続講座において、「子どもの食を考える」テーマで1時間の話をさせてもらった。WHOの健康の定義である、物理的、精神的、社会的を引用し、食べることによる効果として、肉体の健康だけでなく、頭脳の健康もあれば、地場産を利用することによって地域の健康にもつながることに触れた。子どもの人格を認め、上から目線での指示や禁止を命じるのでなく、子どもの気持ちを大切にして一緒に料理や楽しいコミュニケーションを展開することである。それらについて以前の調査したデータを使い、子どもたちは片付けよりも調理をしたがっていることや、食卓では親に明るい会話を求めていることなどを説明した。
 国連子どもの権利委員会が、これまでに3回も日本政府へ勧告しているように、我が国は過度のストレスが子どもに悪影響し、毎年のように自殺や17万人もの不登校につながっている。こうした過度のストレスが、400種類で100兆個もある腸内フローラ(細菌の花畑)にダメージを与え、不健康につながっている。
 子どもの食を通して大人の食も考えなくてはならないし、さらには家族や地域社会や生協の在り方にも深くつながっている。
 その後に、豊島子どもWAKUWAKUネットワーク代表の方から、実践している「子ども食堂の作り方」の報告があった。
 参加者の約50名は、ワークショップで10のグループに分かれて意見交換し、子どもの食の現状をふまえて今後の改善について話し合った。2時間半ほどであったが、女性を中心にして真剣に話し合う姿が印象的であった。