2015-03-05

「みちのくの仏像」に会って

 上野の東京国立博物館で、「みちのくの仏像」展があり足を運んだ。暖かい上野公園では、すでに満開になっている寒桜が1本あり、それを愛でつつ博物館に入った。
 「みちのく」とは、かつて京から遠い「道の奥」にあるとのことでできた言葉である。京からみれば辺鄙な田舎かもしれないが、どっこい東北には独自の文化が栄え、その1つが仏像である。東北6県の代表的な仏像が会場には鎮座し、それは壮観であった。奈良や京都の仏像のような上品な仏像もあるが、荒々しい東北土着の姿もいくつかあって見応えがあった。
 岩手県天台寺の聖観音(しょうかんのん)菩薩立像がある。大きな全身が荒々しい鉈彫りで、樹木に鉈を切りつけるたびに功徳があるとの教えを視覚に訴えているそうだ。
 3m近くもあって見上げるような十一面観音菩薩立像は、宮城県の牡鹿半島の先の高台にあって、先の大震災の津波ではかろうじて難を逃れた。それを祭っている建物には多数の避難者が来て、優しい顔を眺めて癒やされた。
 大好きな円空の大きな仏も、青森から3体届いていた。まだ円空初期の頃の作で、顔や胴体も滑らかに仕上げ、後期のような修練したダイナミックな線はまだない。
 それぞれ平安時代から江戸時代などの作である。そうした長い年月を経た仏像が、
3・11後の今の東北や日本をいったいどのように観、そしてこれからの社会の在り方や、一人ひとりの生き方をどう示しているのだろうか。
 絶対的な神などはいなくて、全てに何かの原因があると諭したお釈迦様の教えに従えば、仏像にすがるだけでなく、仏像を通して今回の人災の原因に正面から立ち向かうことが大切のようだ。
 

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