2015-08-08

韓国人原爆犠牲者70周年追悼式

 4日から韓国はソウルへ一人で飛び、知人の住職のお寺で宿泊をさせてもらい、6日の午前中は赤十字会館で開催の、韓国人原爆犠牲者70周年追悼式に参加させてもらった。6月から韓国ではコロナウイルスによる死者が続出し、このまま続けばソウル行きをどうしようかと迷ったときもあったが、7月になって下火になったので安いチケットを購入して出かけた。
 70年前の広島と長崎へのアメリカ軍による原爆投下により、約7万人の朝鮮の方々が被曝し、4万人が殺され、残った2千人が北朝鮮へ、2万1千人が韓国へ戻ったとされている。その多くは病気や貧困に苦しみつつ亡くなり、現在は2600人の被爆者が韓国で暮らしている。
 そうした人たちへ韓国や日本の政府からの援助はほとんどなく、また一般市民は原爆によって第二次世界大戦が早く終わり、日本をこらしめるめることができたと考える人が多く支援もない。
 住職が代表をつとめる奉仕団太陽会が主催した式典は、420人の会場が満席となり、花で飾った舞台には、中央に祭壇を設けていた。開式辞の後で被爆死亡者の名簿を台湾太陽会からの寄贈による厨子へ納入し、日本太陽会寄贈の平和の鐘、そして私が寄贈した原爆瓦を次々に檀上で被爆団のソウル支部長へ手渡した。韓国国歌の後で平和の鐘を7回子どもが鳴らして全員で黙とうし、来賓者の国会議員、日本大使館、スリランカ大使館の各代表から簡単なスピーチがあった。
 さらには日本から被団協と、そして日本太陽会からのスピーチもあった。特に日本太陽会からは、日本による豊臣秀吉から続く朝鮮への侵略や、被爆者に対しても日本内外で差を付けていることなどへの心からのお詫びを伝えて印象的であった。
 犠牲者への献茶は、韓国人のチマチョゴリ2人、日本人の和服1人、台湾人のチャイナドレス1人が檀上で並んでおこない鮮やかであった。純白のチマチョゴリを着た2人の女性による鎮魂の舞踊や、民謡「恨五百年」などが続き、そして太陽会合唱団による被爆者への追悼歌「タンシン アンニョン(さようなら あなた)」が静かに流れた。これは住職による作詞で、広島で被爆した犠牲者をいつまでも忘れないというナレーションも入ったしんみりと
聞かせる歌である。
 最後に白い菊の花を祭壇に献花して、1時間半ほどの式典を終えた。

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