2015-08-18

浪江から福島第一原発をにらみつけ

 15日の夕方に埼玉の知人宅で泊めてもらい、16日の早朝6時に出発した車に同乗させてもらい、一路福島へ。10時頃着いた福島市の笹谷仮設住宅で、被災者の女性の話を仮設の部屋で聞かせてもらった。請戸の海岸近くの広い自宅は全て流され、壁には以前の家の航空写真を飾ってあった。震災前に病気でご主人を亡くし、その後は女手一つで事業を切り回し、軌道に乗りつつあったときの震災や原発事故で一変している。浪江に帰ることはできず、仮設の近くに息子夫婦が家を建て、そこに母親の部屋も造ってくれたのでうれしいが、まだそちらへ移る気持ちにならないとのこと。
 昼食の後で浪江に入った。途中の2か所の検問所では運転免許書を出して一人ひとり係りが確認する。もらった白い上下の防護服やマスクなどし、浪江の海岸近くまで走った。線量計はグングン上がり、常磐道あたりでは6μSv/h近くにもなって驚いた。国際基準の年間1mSvからすると、60倍もの危険な地域である。
 請戸の付近は、昨年と異なってガレキがだいぶ整理されていた。それでも家屋の基礎のコンクリートだけを残し、一面に雑草が生い茂っている。この地域だけで約190が亡くなり、その半数がまだ行方不明とのこと。埋もれている方もあるだろうが、放射能の汚染が高くて捜査も遅れている。
 海岸から南を見ると、林の向こうに原発の煙突や工事のクレーンなどが見える。諸悪の根源となっている原発である。それにしても何が原因で、今は内部がどうなっているのかなど分からないことがあまりにも多い。例えばMXという他と違った燃料の4号機は、3号機で発生した水素が地下を通って入り込んで爆発したとのことだが、空気よりも軽い水素がそんな流れ方を本当にするのか。原発の安全管理を委託されているイスラエルの軍事会社マグナ・BSP社が、いったい何をしたのか。政府や東電に都合の悪いことは、今でも国民に開示していない。
 自然災害ややむを得ない側面もあるが、金儲けによるこんな人災は、絶対に私は許すことができない。

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