2015-08-08

韓国原爆展示館が開館

 知人の住職である高橋公純さんが、自費で韓国原爆展示館を開館し、その式典が6日の午後にソウルのお寺の1階であり参加してきた。20坪ほどの狭い部屋ではあるが、原爆に関する資料の展示は韓国のどこにもなく画期的な施設である。高橋さんから依頼を受けて広島の原爆ドーム前の元安川で採取した原爆瓦を寄贈した私は、以下のスピーチをさせてもらった。
 「70年前の今日、アメリカ軍が日本の広島へ史上初の原子爆弾を投下しました。原爆にはリトル・ボーイと名付け、一般には「小さな男の子」と訳していますが、本来は「おちんちん」の意味で、これだけ日本人をバカにした名前はありません。広島市の上空500mで破裂した原爆は、近くに3000度から4000度の熱線を注ぎ、家や樹木などを焼き尽くしました。その時民家の屋根にあった瓦が飛び散り、川底に残って原爆の悲惨さを今に伝えています。
 当時のアメリカのトルーマン大統領は、「戦争を1日も早く終わらせるため原爆を投下した」と話しましたが、2か月前に沖縄戦は終わり、すでに日本には飛行機、軍艦、弾薬などがないことをアメリカは知っていました。このため原爆投下の本当の理由は、第一にアメリカの大財閥が金儲けをするため、第二に放射能による人体実験でした。
 2011年3月の東電福島原発の事故も、70年前の広島・長崎の原爆と根本は同じです。このため韓国における被爆者を守る運動と、日本で原発をなくす活動は、どちらも人々が安心して暮らす社会を目指すことで共通して大切なことです。
 この小さな原爆瓦が、そうした両国の懸け橋や、社会の仕組みを考えるきっかけになれば幸いです。ありがとうございました」
 このときもらった木製の感謝牌には、次の印字があった。
 「貴殿は平和の花である被曝ハマユウを守る会の責任者として、二度韓国各地の施設に平和の花を植えてくださいました。また去年は台湾に、今回は韓国に貴重な原爆瓦を寄贈してくださいました。その平和への歩みは称賛に値します。ここにささやかな記念牌を贈り労を称えます」
 そんなにたいしたこともしていないので面はゆい感じがしないでもないが、韓国の被爆者に寄り添い、平和を考えるきっかえの1つになれば幸いである。
 同時に千葉県の有志が被爆者の聞き取りをした冊子「原爆投下後の70年 今、なお」を展示館に寄贈した。

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