2015-12-30

2015年ネパールの旅⑤

   
助け合いの原点に触れて~ネパールからの学び~              
 ボランティアをするには3段階の気付きがある。第一にある対象へ関心を持って事実を知り、第二に自分の力で何か役に立ちたいと願って実践し、第三にボランティアする相手から学ぶことで、そうして深い充実感を得ることができる。
海外に出ると、日本の素晴らしさと同時におかしさにも気付く。スリランカやネパールなどの貧困国を訪ねると、日本ではいつも自由に使うことのできる水道や電気などのありがたさがよくわかる。と同時に、経済大国になった日本において、一時期より減ったとはいえ、小学生を含めて自殺者が年間で毎年2万5000人をこえるなどの異常な状況がより気にかかる。自殺の予備軍は自殺者の10倍はいるそうだから、地方都市の人口に匹敵する25万人が自殺したいと毎年行動している。民主的と標榜する生協で働く仲間も同じで、生協で働いていた私の40年間にも、何人かが自殺してショックを受けた。 
経済大国になった日本や、事業規模の拡大した生協において、何かがどこかで欠けている。その何かを少しでも掴みたくて、今回の旅にチベット仏教の最高峰であるダライ・ラマ14世の対談集を持参し、停電になって照明が半分になった薄暗い部屋でも読んだ。親族の戒名代で74万円もとられ、日本の葬儀仏教にはかなり懐疑的な私だが、自らを含め世界各地の仏教界のトップを「搾取者」と位置付け、だから自己規制が必要という14世の言葉は刺激的である。そもそもお釈迦様は、絶対的な神は存在せず、全て因果の関係で発生していると教え、自らが亡くなった後は仏像でなく教えを拝めと厳命していた。戒名にしても出家した僧に付ける名前であり、ましてや高額の費用がかかるなどは、本来の仏教とまったく何の関係もない。
ともあれ人々が安心して楽しく人生を過ごすことを目指す本来の仏教哲学は、格差社会が進み、世界中の戦争に巻き込まれる危険の高まっている日本において1つの灯になるはずだし、いずれ確立させたい生協哲学にも通じるものがありそうだ。
金儲けの手段や威厳を付けるための偽仏教でなく、本来のお釈迦様の教えを知り、それを現世やこれからの社会に活かすためにどのようにすればいいのか。私の興味や関心は深まるばかりだが、仏教の宗派の違いも分からないほどの素人であり、どのように解決の糸をたぐっていけばいいのかまるでわからない。

しかし、元々経済的に貧しく、かつ大震災の後というネパールの厳しい状況の中で、慎ましく助け合って生きている人たちを見ると、協同組合や仏教の原点にいくらか触れた感じがしてワクワクする。

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