2016-02-17

「京都市特別支援教育の歩み」展を観て

 京都で用事があり、1月につづいて2月も訪ねた。16日に少し時間があり、以前から訪ねたいと思っていた京都市学校歴史博物館に足を運んだ。明治維新によって、多くの貴族が天皇と一緒に江戸へ移り、戦禍もあって京都は大きく疲弊していた。そこで町おこしのためには、まず子どもの教育が大切であるとして、国が動く前の1869年(明治2年)に町民が協力して独自の番組小学校を64校も設立しているから驚く。
 それに続き、障がい者のための特別支援教育も京都ではいち早く進み、1874年(明治7年)には京都盲唖院が開設となっている。その後、知的障害などにも対象を広げて発展させ、今では障がいの種別をこえた総合支援学校へと、内容も充実させている。
 その間に多くの人たちによる先駆的な取り組みがあった。その1人である田村一二(いちじ 1909-1995)の功績は大きい。「茗荷村見聞記」の著者としても有名だが、障がい者教育の実践者であることはここで知った。障がい者の教育で、知育、情育、意育を大切にしたと後の人は高く評価している。
 展示場には、京都府広報映画「人」が上映されており、これも障がい者教育を考えるうえで見応えがあった。
 ところで展示場は全て「教育」と表記しているが、英語のeducationやドイツ語の eruzuhungの訳語ができたのは明治時代に入って少したってからである。語源のラテン語は、「中から引き出す」意味で、本来からすれば共育がまだ真意に近い。それを上から教え育てる教育にしたのは、当時の国策である富国強兵のために必要であった。
 小説「茗荷村見聞記」が話題となって映画「茗荷村見聞録」ができ、それがきっかけとなって滋賀県に障がい者も健常者と一緒に暮らす茗荷村ができ、さらに被災地の宮城では、石巻や岩沼でも新たな茗荷村づくりが進みつつある。ぜひこちらも訪ねてみたい。

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