2016-03-29

「名立・平和を願う日」に参加して

 戦後4年がたった1949年の3月30日に、名立漁港に流れ着いた機雷が爆発し、見物で集まっていた児童を含め63人の命が吹き飛ばされた。GHQがすぐに破片などを処理し、どこの国の機雷か不明で、損害賠償もなくて被害者は泣き寝入りである。
 それを風化させず平和についての意識を高めようと、第3回「名立・平和を願う日」が地元の公民館で3月27日の午後あり、前日に宿泊させてもらった坂戸市の今野宅から車で向かった。
 高速道路はモクレンの花が咲き、トンネルをいくつも抜けると雪景色をいくつも見ることができた。
 100名ほどの参加者を前にして、小中学生による平和学習の発表や、4名の機雷爆発体験談があった。おぶっていた赤ちゃんに機雷の破片が刺さって死んだとか、即死した兄弟の顔半分や内臓がえぐられていたなどの話などは、武器の恐ろしさを十分に伝えてくれた。どれも戦争の犠牲者である。
 時間を少しいただき、昨年9月に名立を訪ねて坂本弁護士一家の追悼コンサートなどを、2泊3日で取材させてもらったお礼を伝えた。そのとき感じた名立のコミュニティの素晴らしさに触れ、かつて宮沢賢治が多面的な人間になることを自らも追い求めたように、①農業といった仕事、②詩や童話や演劇といった芸術性、③肥料の調合などの科学性、④仏教を大切にしたことに通じると話させてもらった。
 こうしたいくつもの価値観をもった人が、名立では仲間となって協力し、元気に活躍しているから凄い。当日の実行委員にも、住職や主婦など20人ほどが関わって運営していた。こうした地域が増えることによってこそ、本来の地域の活性化につながる。国の進める大きな建物を造ることなどは、ピント外れでしかない。
 写真は体験を発表する4人。

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