2016-04-26

三宅島訪問記

 23日の夜10時半に竹芝から船に乗り、24日の朝4時50分に三宅島に降りた。そのまま寝過ごすと八丈島まで連れていかれてしまうところであった。ルポルタージュ研究会の仲間5名で、昨年暮れに亡くなった佐々木美代子さんの墓参りをすることが目的であった。海岸近くの共同墓地にある佐々木家のお墓に、持参した菊の花をそえ、即席坊主の私は「四弘誓願」の読経をさせてもらい、皆で美代子さんの冥福を祈って手をあわせた。
 度重なる噴火で溶岩が波打ち際まで流れ、近くの茂みからはウグイスの甲高い鳴き声が聞こえた。美代子さんの三宅通信で島の概況についておぼろげながら知っていたが、想像していた以上に雄大な自然があった。どこに行っても野鳥の鳴き声がし、また溶岩でできたメガネ岩や、海を眺めながらの温泉なども楽しむことができた。81歳になる夫の佐々木弘佳さんは、足がむくんで薬を飲んでいたが、今も海運丸に乗って元気に漁をし、阿古の船主会の会長もされている。前日に釣ったカツオをいただき、これは夕食としてタタキにさせてもらい、皆で美味しくいただいた。話もはずみビールで乾杯の後は、ワイン2本に続き泡盛の古酒(くーす)2本も空になり、それでも足りずに焼酎へと移った頃は、すでに深夜となっていた。中年の男2人は途中でダウンし、最後まで残っておしゃべりをしたのは、弘さんと女性2人に私の高齢者たちばかり。
 25日の午前中の散歩時に定置網で獲ったばかりの鯖とモロアジを5匹を1000円もせず購入し、昼飯用にとさっそくさばいて締めサバと刺身にして6人で食べた。コリコリとしてそれは美味しい魚で、2日にわたって海の幸を堪能した。
 私を含め男2人は1時30分の船に乗って帰途につき、後の3人は夕方の飛行機で調布へ。船ではしばらくデッキで2人してビールなどを飲みつつおしゃべりし、その後船室に戻って横になり、私は美代子さんの遺作『みやけの心』を読んだ。純粋無垢だった美代子さんが、三宅の自然や人との間で喜怒哀楽している姿がそれは印象的だった。
 溶岩に ウグイス鳴くや 三宅島 
     美代女歩けし 明日葉ともに

 阿古の里 噴火に負けぬ 民強し
     アロエと生きし 美代女の歩み

2016-04-20

飯舘村を訪ねて2

飯舘村の南にある蕨平(わらびだいら)の減容化施設を訪ねた。帰還困難区域である長泥に隣接し、空間放射線量は同じくらい高い。舗装した山道を登った先に、それは巨大なプラントが出現して驚く。1日240トンを処理できる仮設焼却炉と、10トン規模の仮設資材化施設などが隣接し、焼却灰を中間貯蔵施設や管理型処分場が整備されるまで一時保管する施設である。持ち込む廃棄物は、飯舘村内から出た除染ごみなど約14万トンと除染土壌の一部約500トンに加え、福島市と相馬市、南相馬市、伊達市、国見町、川俣町の周辺6市町から出る農林業系のごみと下水汚泥の合計7万トンも予定している。原発事故後に汚染された廃棄物を、他市町からも受け入れる施設ができるのは福島県内で初めてで、国の事業である。
国の説明では、放射能を99.9%除去するバグフィルターを付けているので安全だとのことだが、実際は7割程度との指摘もある。もし国のように除去しても、0.1%は濃縮した高濃度の放射能物質が、飯舘村を中心に降り注ぐ。行政が強調するように外部被曝としての影響は少ないかも知れないが、しきい値のない内部被曝からみれば、さらなる汚染の拡大という
とんでもないことである。

2016-04-19

飯舘村を訪ねて1

 4月14日から19日まで、福島市飯野町の知人宅に泊まりながら、震災後の膨大な資料の整理を手伝いつつ、2回飯舘村へマスクして入った。
 福島第一原発の事故で、大量の放射能が放出し、その一部が飯舘村に降り注いだ。しかし、東電や政府は情報を流さず、原発近くの双葉や浪江の被災者を受け入れた飯舘村民は、汚染された水やおにぎりを提供し、自らも多く被曝した。さらに村長が、村の機能存続を第一に考えて村民の避難が遅くなり、外部被曝だけでなく内部被曝もかなりの量となって、自らの健康を心配する人も少なくない。
 飯舘村に入ってまず目にするのは、放射性の除染物質を入れたおびただしい1tの黒いフレコンバックの山である。その数は150万個もあるとのこと。保管基準では3段積みとのことだが、場所によると5段がある。除染物には落ち葉や草木などもあり、袋の中で腐敗してメタンガスを発生させ、これは燃えやすいので煙突を付けて放出している。さらに樹脂の袋は天日や雨で劣化するし、中から芽や根が出て破れることがある。このため緑の厚いビニールシートを、山のようにかぶせている場所もある。
 ところで飯舘村は、面積の75%が森林であり、そこは除染をしていない。このため民家や田畑を除染しても、雨や風で細かい放射性物質が山から流れ、すぐに数値は高くなる。村の道路の側には、いくつも空間の放射能を測定して表示するモニタリングスポットが設置してあり、走りながら見ることができる。役場や民家のある平地は0.5から0.9μSv/h程度で、帰還困難区域の南部にある長泥(ながどろ)区の通行止めでは1.9μSv/hほどあって驚いた。年間にすれば10から20mSv近くなり、健康を害する高さで、チェルノブイりであれば5mSv以上に適用する強制退去の地域である。
 こうした飯舘村に、来年春には一部を除き帰村させようと村は準備している。日本国民は国際基準でもある年間1mSvを適用しているが、飯舘村をはじめとする福島の被災地では、なぜか20mSvが基準となっている。これでは「福島の被災者を国民と認めていない」と、地元の人たちが怒るのももっともである。

2016-04-10

2016年4月「愛とヒューマンのコンサート」

 4月6,7日にかけ、春「愛とヒューマンのコンサート」ー60分の歌の玉手箱ーとして、宮城県名取市の2か所と、福島県の飯舘村出身者のいる2つの仮設住宅で開催し、声楽家の大前恵子さんとギターの三上芳樹さんが、「春が来た」や「春の小川」や「みかんの花の咲く丘」などの素敵な音楽を届けた。
 福島駅で今野さんの車に乗せてもらった私は、それぞれの会場で短時間であったが、本「愛とヒューマンのコンサート」の紹介をさせてもらった。
 音楽には、今日のような生の音楽とCDのような再生音楽があり、耳に感じるのはどちらも同じ20Hz(ヘルツ)から20kHzです。しかし、生の音楽ではそれ以上の高音と以下の低音の音波が出て、それらが大人であれば37兆個もの細胞に伝わり、細胞内で共振作用をおこして活性化させます。
 また脳には、会話や書くことをつかさどる左脳と、感性や直観などにつながる右脳がありますが、現代人は文字や数字を追いかけ、左脳が発達している割には右脳の働きが不充分です。そこで音楽を聴くことによって右脳を活発化させ、脳のレベルでバランスをとって元気になることができます。
 さらにはミニコンサートでプロの音楽を聴くだけでなく、今度は最高の楽器である身体を持っている参加者の一人ひとりが、地域や家庭に戻り、たとえば子どもや孫に歌ってあげることでも、充分に相手を明るく元気付けることができます。「愛とヒューマンのコンサート」は、これで終わりでなく、そうした家庭での拡がりにもぜひつなげてください、と触れさせてもらった。