2016-04-19

飯舘村を訪ねて1

 4月14日から19日まで、福島市飯野町の知人宅に泊まりながら、震災後の膨大な資料の整理を手伝いつつ、2回飯舘村へマスクして入った。
 福島第一原発の事故で、大量の放射能が放出し、その一部が飯舘村に降り注いだ。しかし、東電や政府は情報を流さず、原発近くの双葉や浪江の被災者を受け入れた飯舘村民は、汚染された水やおにぎりを提供し、自らも多く被曝した。さらに村長が、村の機能存続を第一に考えて村民の避難が遅くなり、外部被曝だけでなく内部被曝もかなりの量となって、自らの健康を心配する人も少なくない。
 飯舘村に入ってまず目にするのは、放射性の除染物質を入れたおびただしい1tの黒いフレコンバックの山である。その数は150万個もあるとのこと。保管基準では3段積みとのことだが、場所によると5段がある。除染物には落ち葉や草木などもあり、袋の中で腐敗してメタンガスを発生させ、これは燃えやすいので煙突を付けて放出している。さらに樹脂の袋は天日や雨で劣化するし、中から芽や根が出て破れることがある。このため緑の厚いビニールシートを、山のようにかぶせている場所もある。
 ところで飯舘村は、面積の75%が森林であり、そこは除染をしていない。このため民家や田畑を除染しても、雨や風で細かい放射性物質が山から流れ、すぐに数値は高くなる。村の道路の側には、いくつも空間の放射能を測定して表示するモニタリングスポットが設置してあり、走りながら見ることができる。役場や民家のある平地は0.5から0.9μSv/h程度で、帰還困難区域の南部にある長泥(ながどろ)区の通行止めでは1.9μSv/hほどあって驚いた。年間にすれば10から20mSv近くなり、健康を害する高さで、チェルノブイりであれば5mSv以上に適用する強制退去の地域である。
 こうした飯舘村に、来年春には一部を除き帰村させようと村は準備している。日本国民は国際基準でもある年間1mSvを適用しているが、飯舘村をはじめとする福島の被災地では、なぜか20mSvが基準となっている。これでは「福島の被災者を国民と認めていない」と、地元の人たちが怒るのももっともである。

0 件のコメント:

コメントを投稿