2017-01-17

ロシアの旅3 戦争の悲劇

 第二次世界大戦のときはレニーグラードと呼んでいたこのサンクト・ペテルブルグの地は、激戦地としても有名である。ドイツ軍約30万人が攻め込み、1941年6月から44年1月まで約900日間も約300万人市民を封鎖し、約100万人が死んだとされる。その間に零下40℃のも冬もあった。封鎖された中で人々は食糧にも困り、馬や犬や猫を食べつくし、ついには死んだ人の肉をも口にするようになった。そのため専用の屋台まで出て、それも大人より子どもの肉が柔らかいと高値で販売された。
 途中から挽回したソ連軍が、今度はドイツ軍を包囲したため補給が途絶え、食べ物で困ったドイツ軍も同じであった。戦争が終わって本国に帰還できたドイツ人は、わずか5万人である。その中には戦場での深い後悔から、楽しいクリスマスを祝う気持ちにずっとなれないとの証言がある。
 第二次世界大戦の末期にフィリピンで、かつての日本兵が山奥へ逃避する途中で「猿肉」などと称して人肉を食べた話は、現地でも何回か聞いたことがある。同じことがヨーロッパでもおこなわれていた。戦争とは、それほど人から人間性を奪う。
 それにしても900日もよくもちこたえたものである。記録によれば満足な食べ物や暖房がない中でも、市民は詩や音楽で生きる力を保っていた。芸術の素晴らしさを再確認できるし、ロシアの民衆における文化レベルの高さを知ることもできる。どんなに過酷な状態になっても、突き詰めれば行政や国家に頼らず、自力でどうにかしても生き抜くたくましさだろうか。
サンクト・ペテルブルグ南方30kmでドイツ軍の前線基地があった宮殿の庭

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