2017-03-11

2017年ネパールの旅4

 5日に信用事業を展開している女性協同組合を今回も訪問し、震災後の取り組みなどについて聞かせてもらい、その後で観光する一行と別れて、カースト制度の最下層であるダリットの子ども支援のグループに会いにいった。グループの名称はシュリジャナ・サムハ。
 これも前回の訪問時に依頼を受けて立ち上げたもう一つのプロジェクトで、震災で世界の各地から支援はネパールに入っているが、ダリットの子どもには届いていないとのことであった。そこでヒーネップに相談したところ、ダリットだけで枠を作るのは難しいとのことであったので、新たな支援組織を別に作った。こちらには75万円を提供し、年率4~5%の利子として3万円ほどになるので、年1万円の勉学費であれば3人のダリットの子ども支援ができる。
 このプロジェクトで2016年の春から2人のダリットの子ども支援をしていたが、実は保護者から支援金が足りなく、もっと多く出してほしいとの要望が来て困っているとの連絡を事前に受けていた。公立でなく私立の学校に通っているため、少なくとも4万円はかかるとのこと。事情はわかるがこちらの支援では無理なので、どうしようかと悩んでいた。
 5人の役員で事前に相談し、ダリットの子どもが多く通う公立の学校(保育園と小学校を兼用)の先生に相談し、校長が推薦する子どもを支援することにしたいとのことであった。そこで翌6日の午後半日を使い、学校を訪ねて校長や先生たちから話を聞き、学年別に年間の必要経費を聞くと6000~8000円ほど。そこで優先度の高い子ども3人を紹介してもらい、その子や迎えにきた母親にも会った。ダリットの家庭では、夫が荷担ぎで妻は掃除婦などをし、合わせても月に5000円ほどとのこと。サラリーマンの平均収入1万数千円に比べてもかなり低い。
 1人目の6歳の男の子は、足の骨に癌があって手術をしていた。手術した右足の骨の成長はなく、いづれ歩行できなくなるそうだ。2人目の4歳の女の子は、母子家庭で暮らしている。瞳の愛らしい子だがそれは小柄で、3歳の私の孫より低く痩せていた。3人目は5歳の大人しそうな男の子。3人の住まいも訪問させてもらった。小さな売店の後方をカーテンで仕切って暮らしていたり、太陽の光がまったく入らない6畳ほどの1部屋で、4人で生活している。極めつきは母子家庭の家で、悪臭のするドブ川の側に土嚢を積み上げ、学校の塀との間に並ぶバラック小屋の1つであった。
 ネパールの社会制度を変えないと解決しない貧困だが、私にできるごくささやかな支援も3人の家庭にとっては意味がありそうだ。

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