2017-08-28

「生協と平和」を考える集いに参加

 「平和とよりよい生活のために」をテーマに、8月26日に東京都生協連の会議室で集いがあり、なぜか司会を頼まれたので参加した。呼びかけは、東京都生協連、東都生協、地域生活研究所で、報告者を含め74人が参加した。
日本は敗戦から72年目を迎え、集団的自衛権を可能とする安保法制関連法案が成立し、戦後責任から戦前責任になっているのではとの意見も出ている。
 「生協の歴史から戦争と平和を学ぶ」として日本生協連元常務理事の齋藤嘉璋さんは、戦前からの生協の歴史と平和の関連について、自著のブックレット『生協の歴史から戦争と平和を学ぶ』も使いつつ解説してくれた。ブックレットは400円と安いこともあるが、すでに7000部をこえているというから凄い。本人の戦争体験は時間切れで聞くことが出来ず残念だった。
 2人目は、「最後の戦争体験者 戦争を語る」としてパルシステム連合会元理事長の下山保さん。奥さんの東京大空襲体験や家族での満州からの逃避行にも触れ、戦争の非人間性を強調していた。今の生協に引き付け、貧困問題に取り組む意義を強調していた。
 5時の終了まで意見交換の時間は30分ほどしかなく、参加者から感想や各生協での取り組みを出してもらった。
 最後に司会者として私は、第二次世界大戦の反省から平和学が広がり、その中で戦争になる前に搾取や抑圧や人権無視の構造的暴力があり、平和な社会を築くためにはこちらにも注目することが大切であること。そのため生協も戦争や核兵器に反対すると同時に、地域や生協内や対委託会社などとの関係において構造的暴力がないのか検証し、もしあれば解消していく努力がいるし、私は独自の研究会で20年前の大阪いずみ生協問題を風化させず、今の生協や生協人の在り方につながる議論の場をこの11月に都内で開くことに触れさせてもらった。
 懇親会は近くの小料理屋の2階。30年ほど前に中野にあった大学生協連時代にはよく使っていた古い店で、懐かしかった。

2017-08-26

反原発取手駅前金曜日行動

 昨日8月25日の夕方、3年前から毎週開催している反原発取手駅前金曜日行動があり参加した。165回目となる今回は、27日投票の茨城県知事選の応援もあって、県外からも脱原発の支援者などが加わり、約40人が駅前に集まった。
 その1人が川俣町の町議である菅野清一さんであった。5分間であったが、帰還の進む被災地で自殺者の増えていることなどリアルな被災地の現実を熱く話してくれた。
 続いて私もマイクを握り、短い時間であったが以下の話をさせてもらった。
 ①昨年夏に避難解除となった南相馬市小高区で、やっと帰ってきた人の中で生活の見通しが立たずに孤立し、中には自殺する人が続き地元の住職が心を痛めている。
 ②飯舘村の2つある焼却炉の1つで、除染した放射性廃棄物を焼却した後の灰を建築資材に加工し、いずれ全国の公共施設で使う準備をしている。
 ③放射線被害は福島だけの問題でなく、空間線量が0.1μSv前後の取手市でも問題である。なぜなら年間の安全値である1mSvは、時間に換算すると約0.1μSvになるが、国際的には内部被曝と外部被爆の合計である。アメリカや日本の政府は内部被曝をまったく考慮していないため、外部被爆にあたる空間線量しか問題にしていないが、内部被曝も重視して、例えば半々で考える国では0.05μSvを基準にしている。
 ④そのため取手市内も手放しで安全とは言えず、雨や野焼きする煙などにはより高い放射能が含まれているので注意が必要である。
 ⑤27日の知事選には、危険な東海第二原発の再稼働を止めるため、反原発を当初から明確にしている新しい知事を選ぶことが大切である。
 皆で替え歌を歌ったりして約1時間で楽しい集いを終えた。


 集会の後、せっかくの機会なので取手駅前のホテルに宿泊する菅野さんを誘って近くの居酒屋へ入った。
 豊かな文化や自然の多い川俣町の現状や今後について、閉店近くまで話をじっくり聞かせてもらった。長く避難地域になっていた山木谷地区で、この秋に伝統芸能の踊りが上演されるという。都合がつけば見たいものである。















 

2017-08-20

「平和の集いin取手」で伊東達也さんに再会

 8月20日の10時から取手市内において「平和の集いin取手」があり、いわき市から伊東達也さんが来るとのことで自転車を走らせた。脱原発の運動では全国的に知られた伊東さんは、私が復興支援本の6冊目で2015年に、「協同の力でいのち輝けー医療生協◎復興支援@地域まるごと健康づくりー」を合同出版から出させてもらったとき、取材で何回かお世話になった。浜通り医療生協の当時は理事長で、生協祭りのとき汗をかきながら後片付けをもされていた。
 「福島原発事故から6年4カ月・現状と課題ー日本史上最大、最悪の放射能公害に苦しむ福島から」とのテーマで、1時間の話は迫力があった。 
 40年もの間、ずっと原発の危険性を訴えチェルノブイリにも3回訪ねたが、実際に福島第一原発の事故にあい、被害の深刻さにはじめて気づいた。それほど原発は危険な存在であり、茨城県民は東海第二原発に注意する必要がある。
 政府は避難者の数を5万人と最近報じているが、これは避難者の定義をかってに狭くし、カウントされていない避難指示区域外からの避難者や自殺・関連死などを含めると9万から10万人近い。
 他にも甲状腺がんや持ち込まれた分団と対立の問題と課題など、第一線にいる伊東さんでしか話せないことを熱く語ってくれた。
 会場では1杯100円のスイトンもあり、昼食でいただいた後、伊東さんと少し意見交換をさせてもらった。原発問題の深さを再認識することができた。
 下は熱弁をふるう伊東さん。

2017-08-13

孫2人と広島へ

 8月5日の早朝に家を出て取手駅で孫2人(中学1、小学5)と待ちあわせて、羽田空港から広島へと向かった。孫の2人には、広島の原爆について事前の勉強をしておくように話しておいたが、教科書以外はまるで興味がなくしていなかった。
 昼前に広島市内へ入り、駅前のホテルに荷物をあずけてグリーンアリーナの「ピースアクションinヒロシマ」へ。日本生協連と広島県生協連の主催で、例年より多く1400人が参加していた。市立沼田高校演劇部による「風の電車」は、原爆投下時に走っていた市電をテーマにした印象的な劇であった。
 フィナーレで100人による虹のひろば合唱団の「世界の命ひろしま」も、迫力があって素晴らしかった。
 会場では若い高校生や大学生の参加が目立ち、今後が期待できる。会場後方のホールでは、各地の生協の取り組みを紹介するコーナーがあり、そこを廻っていると何人かに声を掛けられ、「コープソリューション紙の連載を楽しく読んでいます」といった声もあって嬉しかった。
 6日は早朝にホテルを出て平和公園へ。8時から9時まで平和記念式典に参加し、その後で広島平和記念資料館へと入った。3年ぶりで館内は大きく変わり、まず大人は前回の無料が有料となり、入口で大混雑。さらに展示物がきれいになり、以前の焼けただれて逃げまとう人たちの蝋人形などはなく、まるでゲームセンターかのよう。これで原爆の悲劇が伝わるのかと心配になった。それでも海外からの参加者が多く、それだけ反核の運動が広がっていることがわかり嬉しかった。
 猛暑の中で公園を散策していると、孫たちはすっかり疲れてしまい、午後の予定は中止してホテルで一休みすることにして戻った。
 7日は呉に足をのばし、映画「この世界の片隅に」の舞台の散策や、戦艦大和ミュージアムの訪問を予定していたが、台風5号が九州から中国・四国方面に移動中で予定を変更した。6日の午後で7日の飛行機は全て欠航の表示となっていたので飛行機をキャンセルし、7日の朝一番の新幹線で東京へ戻る手配をし、7日は6時前にホテルを出て乗車した。神戸や大阪あたりで暴風雨にあったが、無事に新幹線は走ってくれ、午後には取手に戻ることが出来た。
孫たちにどの程度の社会勉強となったかは分からないが、いつか広島訪問を思い出すことがあるのではないだろうか。