2018-02-15

ネパール・スタディー・ツアー壮行会

 14日の18時から渋谷のコーププラザにおいて、今年3月28日からのネパール・スタディー・ツアーの壮行会があり17人もが参加してくれた。興味をもって見に来てくれた1人の女性以外は里親で、これまでの関わりや里子への想いなどを紹介して交流した。
 ネパール子ども基金として現地の貧しい子どもを支援しはじめて11年目になる今年は、私の中1の孫を含めて8人にもなった。その内4人は事前に現地入りし、トレッキングを楽しむのでうらやましい。8人の中には初めてネパールを旅する人が1人いて、まだ少し心配そうだったが、行きも帰りもサポートするからきっと大丈夫だろう。
 500円の会費でおにぎりやお菓子などをつまみつつ20時まで打ち合わせをし、その後はいつもの安い中華料理屋で二次会。そこにも14人集まり、ビールと温かい紹興酒で乾杯し、美味しい餃子や焼きそばなどをつまみながら22時頃まで楽しく懇談した。かなり飲み食いしたが、それでも1人2500円で勘定は済み、最後にみんなで記念写真を撮ってからいい気分で帰路についた。

 

2018-02-13

お聴きください 福島からの訴え


 2.12の午後1時半から埼玉県坂戸市にて、表題のタイトルで地元「生活と健康を守る会」主催の集会があり、飯舘村の佐藤八郎村議と一緒に約70人へ話をさせてもらった。
 佐藤さんは、いつもの方言で東電や行政のしている嘘やごまかしをいくつも面白おかしく紹介していた。放射能汚染は人の健康や命にも直結するので、もちろん笑ってすませる問題ではないが、笑い飛ばさないとやっていられない側面もある。
 私は、「福島の人々は今」とのテーマで以下について、約30枚のパワーポイントの写真を使って説明させてもらった。         
1、福島の人々
・追い詰められた震災関連自死
  ・福島で天災死より多い震災関連死 
2、福島の被災地
  ・時間の止まった浪江
  ・規制解除の飯舘村  
3、埼玉県の原子炉と放射性廃棄物
  ・三菱マテリアル
  ・埼玉にも放射能汚染地が 
4、福島に寄り添う
  ・福島の現実を知り、できれば現地を観る
・明日は我が身
・共に生きる
冒頭に触れたのは、南相馬で93歳の女性が震災の年の夏に自死するときの手紙で、「さようなら お墓にひなんします ごめんなさい」であった。心中を想像するとたまらなく胸が苦しくなる。岩手や宮城よりも福島では、震災関連自死が倍ほど多く、残念ながらまだその傾向は続くだろう。
 けっして震災は終わってなく、明日は我が身にも形を変えて災害は起こりうるので、福島に寄り添って生きることをお願いして終えた。
 4時過ぎに無事集会を終え、主催者の1人である今野宅で10人ほどとごくろうさん会をした。冷たい濁り酒と今野和子さんによる柚子味噌付きのボイル玉ねぎなどお手製の料理が合い、すぐに1升ビンが空になった。

       
 佐藤八郎さんと

2018-02-05

2月の寺子屋

 2月3日(土)17時からの寺子屋に参加し、パワーポイントを使って「東日本大震災を生きる障がい者2 福島県南相馬市編」として1時間報告させてもらい、その後で30分ほど約30人の参加者と意見交換をした。1月報告の岩手・宮城の続編だが、今回は放射能汚染下での取り組みで、時間がたっても解決の目途がたたない惨禍での頑張りでもある。そうした中で全国からの支援者が、行政と協力していち早く障がい者の実態調査をして現状を把握し、そして缶バッジの仕事おこしでいくつもの作業所の運営に協力して工賃確保にも貢献してきた。
 南相馬での事例を通し、①障がい者の日常の生活と仕事の大切さ、②仕事に人を合わせる→人に仕事を合わせる、③矛盾の中でも生きる、④答えがない=いくつもの答えがある、⑤南相馬市での人災や天災は、形を変えて全国でもおこる可能性があるとまとめさせてもらった。
 内山節さんからは、地域の歴史から復興を考えることも大切とのコメントをもらった。
 10分の休憩の後は内山さんの連続講座で、1月に配布した「仏教史についてのメモ」と原始経典に関する本のコピーなどを使って1時間ほどの話があった。仏教を大別するときに、大乗仏教と小乗仏教があることは知っていたが、ここではそれぞれの教義にこだわる教団仏教と、各地の庶民の求めに応じて自由に変化していく庶民仏教があるとし、後者についても具体的に解説してくれるので、仏教の全体像を理解することができそれは面白い。日本古来の自然崇拝と、仏典が来る前から渡来していたであろう人を通しての仏の教えが融合し、日本独自の仏教の発展を繰り返してきたという。仏教を通して社会や自らの精神構造などを考える上で、新しい目線が見付かって楽しい。
 8時半からは、参加者が持ち寄ったつまみや飲み物で楽しく懇談した。

 *下の写真は、元気に歌い踊る南相馬「えんどう豆」のみなさん
 
         

2018-02-03

仙台フランクル文庫を訪問

 27日(土)は福島駅前のホテルで泊まり、28日(日)の朝に仙台へ移動し、昼食は仙台駅の1つ手前の長町駅近くにあるレストラン「びすたーり」(ネパール語でゆったりとの意味)へ。障がい者支援の「ほっぷの森」が運営する150年の古民家を改装した店で、障がいを持った方が何人も働いているが、ほとんどそれを感じさせない。魚のランチを注文すると、サーモンが2切れも付き、それもていねいに皮を除けてある。野菜は自前の畑産で、それも障がい者が育てた安全なものだけである。ゆったりとした雰囲気で、これで850円とは安い。心身ともに満腹となった。
 午後から夕方までは、「きょうされん」宮城支部の主催する工賃向上のセミナーに参加した。宮城県でも工賃の平均は全国とほぼ同じ月に1万数千円で、それもかなりがんばってのことである。これをさらに向上させるためにどうするかで、全国的な課題でもある。商品に福祉を付けて出すことの限界があり、ドラッカーが強調したように障がい者福祉でも事業として維持するマネジメントが求められている。
29日(月)にみやぎ生協本部を訪ねて最新の動きを聞き、午後に広瀬通りにある「ほっぷの森」を訪ね、理事長から心理学者フランクルの提唱するロゴセラピーを、どのように障がい者支援に使っているのか教えてもらった。職員であるパートナーにロゴセラピーの基本的な考えを教え、それに沿って障がいをもったスタッフに日々接しているか見守っているとのことであった。要はロゴセラピーが心理療法という術や形でなく、一人ひとりの生き方であるとの説明に納得できた。
 事務所の一角にはいくつもの本棚があり、フランクルやロゴセラピーに関する書籍などが置いてあった。中には、下の写真のように1946年に出したフランクルの原書あった。また訪ねて学びたい場所である。

2018-02-01

福島市での「愛とヒューマンのコンサート」

 27日の朝に南相馬を出発し、飯館村を経由して伊達市に入った。東電に損害賠償をしている裁判が、この31日に結審となる細川牧場に途中で寄りたかったが、牧場の入口に雪が積もっていたのであきらめた。
 11時からの1番目は、飯館村の避難者が暮らしている伊達の仮設住宅で、仮設では珍しい木造の建物が並び、100世帯ほどあるが今は20世帯ほどで閑散としていた。人気になった映画「飯舘村の母ちゃん」の主役をつとめた元気な2人もここで暮らし、15人ほどと集会場での演奏会に参加してくれていた。面識があったので挨拶し、この春から村に帰るのか聞くと、帰ってもすることがないからまだ決めていないと少し投げやりに話していた。顔見知りの会長の話では、仮設住宅の廃止が1年先延ばしになったので、この春にはまだ10世帯が転居先が決まらず残るとのこと。それでも自治会は解散するそうだから、仮設住宅としてどのような自治をしていくのだろうか。
 14時からの2番目は、ある女性グループの新年会のような場で、100人ほど集まってアルパの演奏を楽しんだ。
 17時からの3番目は、福島市内のある復興住宅の集会所で、ここは浪江出身の被災者が多く、ここの自治会長は近くにあった浪江の仮設住宅にずっと住んでいた。
6時に全ての日程を無事に終え、新しい会長宅で手作りの夕食を御馳走になった。具のたくさん入った温かい汁が、冷えた体の五臓六腑にしみわたり、2杯も御替りさせてもらった。夕方からまた雪が降り始め、早めに今野さんたち3人は車で帰路についたが、私は残って会長夫妻と美酒をしこたま飲みつつ、近況を聞いたりした。浪江にある奥さん経営の美容室と、ご主人経営の小料理屋は、もう帰ることもできないので解体し、福島市内に腰を据えることにしたと淡々と話していた。浪江町は部分的に規制解除となったが、まだまだ放射線は高く住民のほとんどは帰還していない。住むことが難しければ、ましてや商売もできるはずがない。
 9時頃にタクシーを呼んでもらい、会長宅を出るとき食卓では日本酒の1升ビン1本と4合瓶2本が空になっていた。近くの飯坂線の駅に着いたはいいが、電車がしばらく来なくて強い横殴りの雪の中にしばらく立っていると、すっかり酔いが醒めてしまった。
 割り切って復興住宅に移った人、仮設住宅で移転場所をまだ決めかねている人、どこにも行き場所がなくてまだ放射線量の高い故郷にもどった人など、それぞれでどんな新しい共同体をつくり、どう暮らしていくかの模索が続いている。