2018-03-25

花見に想う

 桜の花の季節となった。各地から開花の便りが届き、中でも故郷の高知からの日本いち早い知らせは嬉しかった。昨日、夕方から上野で知人と会う用事があったので、少し早く出かけて上野公園を散策した。満開の桜も素敵だったが、とにかく凄い人だかりに驚いた。
 いつもであれば私も缶ビールでも飲みつつ桜を愛でたいところだが、今年はそのような気分になれなかった。この2月に亡くなった石牟礼道子さんの、「花の文をー寄る辺なき魂の祈り」を想い出したからである。水俣病で亡くなった少女きよ子の母親が、石牟礼さんに語ったという内容である。歩くことのできない少女が庭にはって降りて、泥まみれになった不自由な手で桜の花びらを愛でていたことがある。そのことを石牟礼さんに、母親はこう話したという。
 「それであなたにお願いですが、文ばチッソの方々に書いてくださいませんか。いや世間の方々に、桜の時期に花びらば一枚、きよ子のかわりに拾うてやって下さいませんでしょうか。花の供養に」
 世間の一人である私も、母親の痛いほどの気持ちを感じたし、桜の花びらを通して水俣病で亡くなったきよ子とその母親、そして石牟礼さんの魂に触れることができた。

 公園で人の波を避けてたたずんでいると、大きな石碑の陰にホームレスの男性が座っているのに気付いた。すぐ目の前で酒盛りしつつ楽しんでいる人々は、誰一人として気にしていない。ボストンバックと白いビニールを被せた手押し車が横にあった。どんな人生を過ごしてきた方なのだろうか。

 
 

2018-03-19

船橋・野良しごと楽校(がっこう)

 3月19日の10時から15時まで、千葉県船橋市の飯島農園において、コープみらい千葉本部の主催する第11回目の「船橋・野良しごと楽校2017」があり、18日の午後から現地の農家へ入って準備などを手伝った。
 愛用の折り畳み自転車を電車で運び、最寄りの北総線小室駅から30分ほどの地まで走った。荷物を農家に置き、軽トラで林を抜けながら畑に向かっているときである。正面の道を真っ直ぐにこちらへ駆けてくる小さな動物がいた。見ると犬に追いかけられた狸で、正面衝突する直前に狸が林に飛び込んでくれたのでホッとした。地元の人に聞くと、狸だけでなく猪なども増えて農作物の被害も増えているとのことであった。
 畑ではホウレン草の収穫を手伝った。根本から20cm以上になったものを根から切り、他の男性がコンテナに入れた。有機農業で育てたホウレン草で、ときどきテントウ虫が出てきて目を楽しませてくれた。畑の畝に沿ってしゃがんだり立ったりの繰り返しで、30分もすると両膝がガクガクしだす。その度に立って両手で膝をトントン叩いたり、グイグイと押したりした。
 夜は農園主の飯島さんと日本酒を飲みながら、こだわりの農業に関わるいろいろな話を深夜まで聞かせてもらった。
 19日も天候にめぐまれ、6時前には起床してウグイスのいくつもの鳴き声を聞くことができた。9時から生協の女性職員4人と農園側からの男性4人で今日の打ち合わせ。生協職員には1人顔見知りがいて、取材の話も早く了解してもらった。
 10時には17家族の約60人が集まり、4つのグループに分かれて広場のテーブルを囲んだ。車で来たそれぞれは、長靴に履き替えて子どもも軍手をしていた。午前中は、ビニールハウスの中で枝豆の苗を、黒いビニールシートであるマルチの穴に沿って家族で植えていった。小さな女の子が、「はやく大きくな~れ、はやく大きくな~れ!」と言いながら泥だらけの手を動かしていた。他には以前に植えたホウレン草と小松菜の収穫で、家族でいくつものビニール袋をかかえていた。
 昼食はお楽しみのバーベキューで、グループ別に火をおこして、鉄板や網で野菜や肉を焼きながら団欒した。食後に家族毎で1年間の感想を出してもらった。野菜嫌いの子が食べるようになったとか、野菜の購入は安さだけだった大人が、産地や農法にも気になるようになったとのことであった。
 どの顔も楽しそうであった。持ち帰ったホウレン草や小松菜の料理を家族で食べつつ、農場での話に花が咲いたことだろう。 

2018-03-12

フクシマを忘れない 3・11 STOP原発茨城県南総行動in取手

 東日本大震災から8年目となった昨日、取手の駅前にある広場で、「フクシマを忘れない 3・11 STOP原発茨城県南総行動in取手」があり、約100人ほどの市民と一緒に参加した。
 1:30に勇壮な太鼓で幕開けとなり、実行委員会の代表が挨拶した後で私は、「東電福島事故と被災地のその後ー知られざる真相を語るー」とのタイトルで15分間マイクを握った。
 冒頭に「福島の震災は決して終わっていません」と強調し、以下の点に触れた。
 ①避難者はまだ全国で7万3349人もいるし、さらにカウントされない方々も少なくない。その中で震災関連死は全国3647人で、特に福島では津波で亡くなった1848人をこえる2202人にもなっている。さらに震災関連自殺は、全体で166人いて、その半分の87人が福島で、仮設住宅や支援の廃止などとの関連で今後増えることが心配である。
 ②事故を起こした2号機からは、損傷した核燃料のデブリが宙ぶらりんになって高い放射線を今も放出し続けている。
 ③被災地では、除染したゴミを入れた1トンのフレコンバックが1650万個も並び、それに3兆円もかけている。除染ゴミの約7割をしめる土や砂は、防潮堤などの内部に埋める実証実験をはじめ、3割の草木などは各地で焼却している。その中でも飯舘村の1つの大焼却炉では、できた灰を建築資材に加工する施設を併設し、いずれ全国の公共施設で使う予定である。
 ④そもそも今回の原発事故には、いくつもの闇がある。どれも水素爆発とのことだが、1号機は白い煙が左右に流れるのに対し、3号機は上空に向かい黒い煙が舞い上がり、それも国内の映像では3回の爆発音が全て消されている。また1000年に1回の大津波が原因とのことだが、津波の前に地震で内部に多数の損傷が発生している。津波のせいにすると、後1000年はおこらないだろうとの印象を与えるが、地震だとするといつ起こるか分からないので東電や政府にとっては都合が悪い。
 ⑤取手市の空間線量は今、0.05μSv/hから0.11μSv/hであり、政府のいんちきな除染基準である0.23μSv/hより少ないので安心している人もいるが、決して安全ではない。国際基準でもある年間1mμSvは、時間に換算すると約0.1μSvとなるが、これは内部被曝と外部被曝の合計であり、ドイツなどでは半々としているので外部被曝の基準となる空間線量は0.1÷2で0.05μSv/hとなる。
 時間がもっとあれば原発の背景や目的などにも触れたかったが、スケジュールに沿って15分で終えた。
 県議などの話の後はバンド演奏などもあり、まだ風は寒かったが集会は熱気に包まれていた。

 

2018-03-11

有機でひらこう!子どもの未来 -全国有機農業の集い2018in東京

 3月9日(金)の午後から10日(土)の夕方まで、都内の国立オリンピック記念青少年総合センターにおいて、日本有機農業研究会が主催し、「有機でひらこう!子どもの未来 -全国有機農業の集い2018in東京」があり両日参加した。
 呼び掛け文には、「有機農業は、環境を守りながら、生産者と消費者が一緒になって、『いのちの糧』を育む支え合いの農業です。子ども世代へ、今以上の負の遺産をのこすことのないように、私たちに何ができるのか、明日の行動を考えませんか」とあった。まずドキュメンタリー映画「遺伝子組み換えルーレットーー私たちの生命のギャンブル」が上映された。アメリカで遺伝子組み換え(GM)の大豆やトウモロコシなどが大量に出回り、その結果、多くの人々にアレルギー、自閉症、不妊、出生障がいなどの慢性疾患が急増しているとして、各地の医師などが登場して警鐘乱打していた。全体的に貴重な内容であるが、GM食品が人の腸に穴を開けると断定するなど過剰宣伝も一部にあった。
 続く講演では、「食卓の危機ー遺伝子組み換え食品の現状」として市民バイオテクノロジー代表の天笠啓祐さんから1時間の貴重な話があった。モンサント社に代表される多国籍企業の利益のため、日本を含めて世界中の種子が独占されつつある。企業は農薬とセットにしてさらなる利益を追求し、遺伝子組み換えやゲノム編集の技術を駆使し、それは食料支配戦略に通じる。こうした結果、人体や自然環境に多大の害をもたらしているが、日本の政府を含めて国民の健康でなく企業の利益を守っている。
 夕食は懇親を兼ねてセンター内のレストランで、各地の有機生産者の作物を料理してもらい飲み食いした。ホウレン草のおひたし、スティック状の大根、おにぎり、茹でたじゃがいも、ゴボウとレンコンの空揚げ、生レタス、豚肉の角煮、生ハムなどが、大皿に山盛りになって並んでいる。飲み物は、生ビール、ワイン、純米酒などがあり、それぞれ自由に利用できた。どれも有機だから味がしっかりしていて、美味しくいただいた。2時間で満腹になり、まだ1升ビンに貴重なお酒が残っていたので、500ミリのペットボトルに移し替えて後の車座分散会でも飲ませてもらった。
 10日は午前中にワークショップで若い生産者と意見交換し、午後は6人の実践報告を聞いた。全国各地で有機農法に関わり、農作物だけでなく地域の文化や自然や人々の健康を守っている素敵な姿に触れることができた。