2018-09-26

廃棄物を使った素敵な作品

 24日の夜だった。上野公園で中秋の名月を友人とながめ、ほろ酔い気分で取手駅にて下車し、ギャラリーのある地下道に入った。そのとき強烈な印象の作品が目に飛び込んできて、思わず足を止めた。広島や長崎での原爆か、東日本大震災での被災地の焼け跡を一瞬イメージした。
 「私のためのコンポジション2018」のタイトルにある案内板には、「焼却炉から出てまもない鉄くずは、微かにぬくもりがあり青く光ってとてもきれいです。社会で果たしてきた製品としての役割りや機能を失ってこその清浄だろうと思うことがあります」とあった。
 よく見ると、つぶした空き缶、ゼンマイ、パイプ、スパナなどなど、どれもが茶色に錆びた金属片であった。コンポジションとは構図の意味であり、10数点のどれもがおもしろいイメージを醸していた。
 26日の朝に作品を撤去するとのことで再び訪ね、作者である1956年北海道生まれの阿部真理子さんに会って少し立ち話をさせてもらった。東京藝術大学大学院を出ているとのことで、どこかの学校で美術の教師でもしているかと思ったら、まったく関係のないパート仕事をしつつアトリエで作品創りをしているとのことだから、よほど創作が好きなのだろう。それも以前は彫刻であったが、5,6年前に近くの焼却炉で出てきた金属片を見てこの作品化をし始めたそうだ。
 作品もさることながら、焼却した後の金属片に再び命を吹き込み、りっぱな美術品に仕上げる阿部さんの考えが素敵だ。
 感激しつつ、少し気になったこともあった。1つ目が単純な木の額である。作品の世界を囲んで強調する大切な額は、杉であればバーナーを当ててこすればおもしろい文様になるし、古い板や竹などを使っても味わいは高まる。2つ目がそれぞれの作品の横に、般若心鏡の小さな英文を添えてあったが、その意図がよく分からなかった。作者のイメージを、例えば漢字の1文字にして大きく書いて添えるとかすれば、作品により興味をもつことができたのではないだろうか。たしかに般若心鏡は日本人の好きな経典の1つではあるが、日本仏教の構造的な衰退をみるとき、漢文を英語にしてここで意味を伝える必要がどれだけあるのか疑問である。もし仏教に関連させるとすれば、あらゆるモノに命が宿るとの大乗仏教の教えを、まさにこの作品は示しており、素直に作者の気持ちを簡潔な日本語で表現すれば充分だと思う。
 ともあれ刺激的な作品で、私も何か真似て小作品を創り暮らしに彩りを添えたいと思った。

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